2011年1月25日火曜日

タイガーマスク

 私のような昭和20年代生まれの人には「タイガーマスク」という漫画は、タイトルは知っているが、実際には見ていない人が多いのではなかろうか。
 ましてや、主人公の名前が「伊達直人」とは知らなかった。ただ、なかなかいい名前だなと感じたくらいだ。なぜ聞いた様ないい名前かと考えたら、「菅直人」と同じ名前ではないか。「菅直人」は迷走しているが、「伊達直人」は迷走していなくて、ストレートである。
 その後、この善意のキャラクターは「アンパンマン」や「星飛雄馬」と続いた。私などはだいぶ捻くれているから、「なぜタイガーマスクなのかを」と考えてしまう。「なんとなく偽善くさいなあ」「いや、善意を素直に受けとめれば」「「日本人は慈善行為の仕方を知らないのか」・・・。
 実名公表しての慈善活動は、偽善だとすぐにネットで非難されるような世の中である。このような形での「慈善運動」は素直に喜ぶべきであろう。

2011年1月20日木曜日

正義とはなにか

「ハーバート白熱教室」というNHKで放映されたマイケル・サンデル氏の講義をテレビでみた。面白いので「これからの正義の話をしよう」という本を買って読んでみた。
 高校生や大学生だけでなく、「政治とはなにか」「正義とはなにか」「哲学とはなにか」を考えされるにはよい教材になると感じた。例えば「功利主義」についてであるが、「ある健康な臓器を持っている1人を殺して、いろんな臓器を移植すれば5人が助かる」果たしてこの殺人行為は許されるのか?
 このような命題を考えながら、正義とはなにかを考えさせるのである。殺人をしてまでの臓器移植を許す人はいないであろう。しかしこれに近い話はよくあることなのだ。普天間基地移設問題に絡む発言で「普天間基地の辺野古移設について県民に受け入れを甘受してほしい」とある政治家が述べたことも、沖縄だけが犠牲になってくれれば、本土全体が安全になるということと同義語になるのだ。これなどはまさに、「1人が死ねば5人が助かる」という事と本質は同じである。
 本当にこのような解決方法しかないのか?違った方法での解決があるのではないかと、自分の頭で考えることが哲学なのであると思う。「マイケル・サンデル」の言いたいことは、正義のための「判断基準」「羅針盤」をしっかり持って生きよということではなかろうか。

2011年1月12日水曜日

無縁社会

 「無縁社会時代の介護を考える」春日キスヨ著 という本を読んだ。目次は「中年の子を養い続ける親」「介護するシングル息子・娘の孤独」「子が頼る親の年金」「夫の親より自分の親を優先させた妻」「仲のよくない夫婦の老後」「息子夫婦と同居しても家庭内ひとり暮らし」というタイトル。どれも人事でないことばかり。
 私ごとになるが、昨年末は岐阜に住んでいる親が2回目の脳梗塞で倒れた。介護するのは60歳と56歳のシングル息子の2人。1人は定年退職したばかり。もう一人は数年前から、親の介護をしながら年金がもらえるまで働かず同居。母親が元気な内は、食事・洗濯は親の仕事であった。今は各自なんとかやっているが親が亡くなったらこの男達2人はどうなるのかと、遠く離れた地から心配だけしている自分がいる。
 解決策は「家族以外のつながりをいかにつくるか」「介護保険など社会資源をうまく使う」事だと痛感した。

2011年1月6日木曜日

正邪と好悪

 「予防接種は効くのか?」(光文社新書)岩田健太郎著を読んでなるほどと思ったことがある。
本のタイトルの答えは本書を読んでいただくことにするが、以下の文章に考えさせられた。
「好悪(好き嫌い)」の問題を「正邪(正しい事と正しくない事)の問題にすり替えることは日常的に多くの大人がやっていると言う。例えば「ワクチン嫌いは好き嫌いから生じている」と。そして「後付けで」そのことに都合のよいデータをくっつけ、科学的言説であるかのように粉飾する。都合の悪いデータは罵倒するか、黙殺する。 著者は「ワクチン嫌い」を非難しているのではないのだと言っている。このような言説でワクチンを「正邪」の問題にすりかえることは良くないと言っている。このことには反対意見を多いが・・・。
 このことに限らず、私達は同じようなことをしていると感じた。「私はあの人が生理的に嫌いだ。だからあの人言うことは全て正しくない」と考えてしまうことは往々にしてあることだ。やはり大人は嫌いな人の言葉でも「あいつの言っていることはいかがなものだろうか?本当に間違っているのだろうか?」と客観的に問い直してみることが必要である。子供ではないのだから。
好き嫌いを人に押し付ける事はしたくないものだ。