2010年11月30日火曜日

夜と霧

 強制収容所での体験を綴った記録文学作品であるフランクルの「夜と霧」に次のような言葉があった。

 「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だと思っているうちに終わってしまう」これは次のように言い換えられる。「強制収容所ではたいていの人が、今にみていろ、私の真価を発揮できるときがくると信じていた」けれども現実には、人間の真価は収容所でこそ発揮できたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日をやり過ごしたか、あるいはごく少数の人々のように内面的な勝利を勝ち得たか、ということに。

 強制収容所にいる人間に、そこが強制収容所であってもなお、なんとか未来に、未来の目的にふたたび目をむけさせることに意をもちい、精神的に励ますことが有力な手だてとなる・・・。

 もっと、いい環境であったら・・もっとお金があったら・・もっと・・
 今を一番大事にして努力しないと何もなし得ないということである。

2010年11月17日水曜日

もういちど読む「山川世界史」

 最近、テレビや新聞などのマスメディアで「尖閣列島」問題や「北方領土」問題が毎日と言っていいほど報道されている。
「中国はなんという国だ」とか「ソ連もいいかげんにしろ」とか・・・。感情論としては簡単に言えるが、なんで中国、ソ連はそんなことを言うのかを理解するには、相手の国と日本がどんな歴史の過去があるのかを知らないと理解に苦しむことが多くある。
 学生時代の「世界史」の授業はなんとつまらないものだったろうか。ただ、人物、事件の名前を覚えたり、年号を暗記するだけ。まったく面白くなかった。
 最近本屋さんへ行ったら、「もういちど読む山川世界史」(山川出版社)を見つけた。内容、構成は高校の世界史の本に似ているが、一般の読者も対象にしていて、面白い読み物にもなっている。
あらためて読んでみたくなり、購入した。
日本の外交も相手の国を知らないと大変な事になる。日本の代表する人はしっかり世界の歴史を勉強して欲しいものだ。

2010年11月13日土曜日

百人一首の思い出

  毎年年末に近くなると、なぜか百人一首を思い出す。百人一首と言えば、中世の大歌人「藤原定家」が古来の歌人から一人一首を選んで集めた和歌集である。
 そこで思い出すのが、高校一年の時の古典の担任の高田先生である。年まで覚えている。確か32歳で独身であった。
 先生はその百人一首を全て暗記させたのであった。古典の時間の最初に、テストをする。先生が上の句を言って、生徒に下の句を言わせる。できなかったら立たせる。
 私は古典が苦手で、立たされるのが多かった。ただ意味もわからず暗記させられたのである。
 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ(天智天皇)
 いまだに口ずさんで出てくるのである。若い時は意味もわからないまま覚えた事が、大人になってなるほどこう言う意味だったのかとわかるのだ。
 この年になってはとても覚えることができないことが、若い時はできる。
 あの時は憎憎しい先生と思っていただけだが、今は感謝の気持ちでいっぱいだ。
 鉄は熱いうちに打て!

2010年11月10日水曜日

夏目漱石と戦争

 私の読書歴の中で一番気になる作家と言えば、「夏目漱石」である。私は生意気にも中学生のうちに彼の全集を読んだ。その当時はただ面白いという感想しか残っていない。特に「坊ちゃん」「我輩は猫である」は面白かった。他の著書は中学生には少々背伸びして読んでいた気がする。その後「夏目漱石」に関する評論本が出ると必ず購入して読んできた。
 最近、「夏目漱石と戦争」という本が「平凡社新書」から出された。
夏目漱石がこんなにも戦争というものに関心も持ちながら、作家活動をしてきたのかと驚くばかりである。漱石は1888年第一高等中学の時に英作文で軍事教練について次のように書いている。「諸君、軍事教練は私にとって辛すぎる訓練であります。それは、教練が私の意志に反して強制的に訓練を課すという理由によるものであります。私は軍事教練という名前を聞いただけで虫唾が走ります。軍事教練において、われわれは、形こそ人間でも、鈍感な動物か、機械的な道具のごとく遇されるのであります。われわれは、奴隷か犬のように扱われるのであります。しかしながら、いったい誰が、犬のように卑屈に尻尾を振り、手を舐めるでありましょうか。」と書いています。
 明治の兵役義務がある時代に、しかも15、6歳の若者が書いているのである。そんな背景を知って漱石の本を読むと、又違った読後感になるのではなかろうか。