2011年4月26日火曜日

香山リカ

 精神科医の「香山リカ」さんが、震災後現地に行った時の感想を「アエラ」に載せています。その一部を紹介します。
 瓦礫の山は、車やテレビや住宅のコンクリート片など、人工物ばかり。これらを手に入れ、少しでもいい暮らしをしようと必死になり、お金を稼いできた。その努力はいったい何だったんだろうと、虚無感を抱きました。人がすべてをコントロールし、計画どおりに生きようとするのは傲慢である。生かされていることにもっと謙虚にならなければ。被災地を歩きながら強く思いました。最近は年齢を超えても美しくいようというアンチエイジングに人が群がり、過剰に手に入れたものを今度は捨て去ろうとする「断捨離」が流行する。どうな最後を迎えるか、死まで自分らしくデザインしたいと躍起になる。そんなことは全部無意味なことと思えました。
原発事故でも考えさせられました。クリーンで安全に得られる電力は限られているのに、それ以上使わないと生活できないし、成長できないと思っていた。でもある範囲で暮らすということをもう一度考え直すべきだと思います。デパートが夕方6時に閉まるのなら、それに合わせた生活をする。そのことを必要以上に挫折だと感じたり、経済の下り坂だと煽り立てたりしなくていい。自分らしく生きなければという現代人の悩みは、大災害の前にあまりにもちっぽけでした。ただ今日を生きている、そのことの奇跡を感じました。
この災害というピンチをチャンスに変えよう、日本が一丸となって難局を乗り切ろうという機運が高まっていますが、こえだけ深い傷を負って、そんなにタフな人はいません。今はじっくり悲しみに向き合えばいい。私が東京で診ている患者の中にも、悲惨な映像や情報をシャワーのように浴び続け、不安や恐怖で具合が悪くなっている人がたくさんいます。「被災地のために」何かしなければいけないと、強迫観念にも似た思いにかられ、疲れ切っている人も多い。生活保護で生活している人がなけなしのお金から募金をしようとしたり、避難所と同じ生活を自分に強いなければと暖房を切って体を壊したり。
このままでは日本中が燃え尽き症候群になってしまう。生活環境や便利さはすべて失われ、周囲は全部変わってしまった。でも唯一変わっていないのは、自分という人間。その自分が生活の中で、「こんな状況でもお腹はすくし、食べ物はおいしい」と、ささやかな希望を見つける。そうして時間をかけてゆっくりと再生していく。人にはそういう強さがあることを、被災地を歩いて改めて実感しました。
 必要以上に「落ち込まず」必要以上に「はしゃがず」、日々の生活を着実に行っていくことが生きていくという事だとあらためて感ずる記事である。現地の人が日常の生活をできるように、継続的な救援(募金)をしていきたいものである。

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