2015年6月5日金曜日

形容詞


毎日新聞コラム「発信箱」を紹介する。
発信箱
青野由利専門編集委員
形容詞にご用心
4年前の原発事故の後に作家の池澤夏樹さんから紹介されたエッセーをふと思い出した。20年以上前、池澤さんがある原発の見学に行った時のこと。手渡された広報部の文章には、「固い」「丈夫な」「がんじょうな」「厚い」といった言葉が並んでいた。
具体性のない言葉の羅列は、読み手の心理をある方向へもっていこうとする広告のコピーのようなもの。1990年に当時の体験を描いた「核と暮らす日々」の中の指摘は、原発政策の危うさをまさに言い当てていた。
「我が国と密接な関係にある他国」「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」「他に適当な手段がない」。安全保障関連法案の条文にも、具体性のない形容詞が羅列されている。
国会審議で中身を問われているのに、答えははっきりしない。安倍晋三首相も「戦争に巻き込まれることは絶対にない」といった具体性のない言葉で応じる。「原発が丈夫で頑丈って、どれくらい丈夫なの?」「ええ、丈夫で頑丈なんです」。そんな問答を聞いているようで、思わず笑ってしまい、自分の笑いにぞっとする。
原発事故の教訓は、都合の悪いことにも目をつぶらず、具体的にリスクを想定する重要性だった。自衛隊員の危険について、「リスクとは関わりがない」「リスクは残る」「リスクは新たに考えられるが、増大しない」と変遷する政府の答えを見ると、「安保神話」という言葉が頭をよぎる。
具体的リスクが許容範囲かどうかを国民全体で考え、判断する重要性も原発事故の教訓だった。安保法制でもそれは同じことだ。
抽象的な形容詞を使う人は要注意である。特に政治家は。

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