2011年3月23日水曜日

大震災と大企業の役割

民主党のブレイン的役割を担っている北海道大学大学院教授「山口二郎」氏は、東洋経済のコラム欄「政治に今何ができるか」で次のように述べている。
阪神大震災のとき、道路、公共施設などについては、財政資金による再建が進められたのに対して、個人住宅の再建について公的資金による援助をどうすべきかどうか、議論があった。最終的には議員立法により「見舞金」という形で資金援助が行われた。(確か100万円ちょっとだったと思う)
今回、このケタ違いの災害に対してどのような政策を取るべきかで次のように述べている。
私有財産への保障はしないという旧式のドグマ(独断的な説)は転換する必要がある。今必要なことは被災者が生きる希望を取り戻せるよう、国民全体で支えるという意志を示すことである。(全く同感である)
そのための財源が足りないのは明白で、増税すべきである。もちろん義捐金を集めて、NGOを支援することは必要である。しかし、今回の災害は市民の力でどうにかできるものではない。われわれはなにをするために税金を払い、政府はなにをすべきか、考え直さなくてはならない。
ここまでは賛成である。しかし、山口氏はどのような増税が必要かは言っていない。おそらく、民主党のブレインであるから、消費税増税を言うのであろう。ここからは私は違う考えだ。いまこそ、大企業は内部留保を吐き出し、震災にあった人々を優先的に雇用する責務があるのではないだろうか。
ワイエムピーと言う中小企業でも、どうしたら震災にあった人々を支援できるかを考えなくてはならない重要な時である。

2011年3月15日火曜日

救援募金

 東北・関東大震災発生日、2011311日をしっかり覚えておきたい。我々医療機関は全面的に支援をしていかなくてはならない。人的支援、物質的支援、精神的支援等色々あるが、今後一番必要になってくるのはなんと言っても「金銭的支援」である。
 私が「救援募金」にこだわる理由に、自身の経験がある。
1959年の9月、伊勢湾台風が東海地方を直撃した。長良川が決壊し、家が全壊した。その後半年間位は、村の公民館に住み、その後仮設住宅に住み、1年後に父親は新しい家を建て直した。
 その時の全国の支援のありがたさは、今も忘れることができない。食料、衣服、住宅・・・お金と言うものは、現地の人たちが一番必要としているものに化ける。こんな時は身を削っても募金したいと思う。

2011年3月10日木曜日

死にゆく子供を救え

 
1995年以降、ミャンマーに生きる人たちの治療のために、戦ってきた医師「吉岡秀人」が書いた本である。今では「ジャパンハート」・・医療の届かないところに医療を届ける・・ためにボランティア組織のNPOを立ち上げて頑張っている。
彼の本の中に書かれている言葉を紹介しよう。

「努力は自分に対して誇れ」

何かが「できない」と言うことはそんなに大きな問題ではない。それは時間をかければ解決する問題である。「私が問題視して、厳しく接しているのは心のあり方の部分である」「できもしないのに、できると思い込んでいる人間、できもしないのに努力しない人間。あるには自分がやったことをすぐに他人に誇る人間。」
「他人は成果を評価する。しかし努力はあまり見てくれない」「これだけ勉強しました、これだけやりましたはいいけれど、結果がでなければ空しい徒労だと、そういうメンタリティーが私には怒りの対象になる。努力は自分に対して誇るもので、他人に対して誇るものではないのだ。」
なかなか味わいのある言葉である。

「面倒がらないことが失敗を防ぐ」

医療をするために最も大切なことの一つは“面倒がらない”ことだと言う。いつも自分の思い通りにやろうとすると、必ず面倒になり、皆が少しずつ面倒がって、やがて大きな失敗をしでかすのだと。面倒がらないで、自分のことは自分でする。食事をつくる、掃除をする、洗濯をする・・・他人の生活は自分の生活の延長線上にある。日々のいいかげんな生活がいいかげんな医療の元凶である。
なるほど・・・

2011年3月7日月曜日

医薬品ネット販売

 政府の行政刷新会議は3月6日に開いた「規制仕分け」で、ドラッグストアなどで販売する一般用医薬品のインターネット販売を原則禁止する規制を「見直し」と結論付けた。それに対して厚労省は副作用リスクの分類を定期的に見直してネット販売を一部認める姿勢を示した。議論は平行線を辿っている。
 現時点でネット販売を認めているのは副作用リスクが最も低い「第3類」だけである。厚労省は副作用リスクの分類を定期的に見直して「第3類」に移す医薬品を増やしてネット販売できる医薬品を増やす姿勢である。同じような内容見えるが、この差は大きい。
 仕分け人は「ネット販売よりも対面販売の方が、安全性が高いというデータはない」と言っているが、こんな暴論はない。この考え方でいくと「事務が服薬指導するより、薬剤師が服薬指導する方が、安全性が高いというデータはない」という論に近い。
 そもそも規制緩和せよとの圧力は、国民から出ているのではなく、ネット販売で儲けようとしている会社から出ているのである。仕分け人はそんな企業から献金でももらっているのではないかと疑いたくもなる。なんでも規制緩和すればよいと言うものでもない。
 国民の命がかかっているものに対して、国は慎重に対応すべきであることは、「イレッサ」訴訟が示していることである。

2011年3月1日火曜日

統一地方選挙

 日経新聞の「経済教室」で中央大学の佐々木信夫教授が「地方の乱を考える」で以下のような事を述べている。
4月の統一地方選挙では、東京を始め多くの都道府県、市町村で、首長、議員の選挙が行われる。地域政党やの台頭や連携などで新たな動きもあり、結果が注目される。
 争点は様々だが、共通して問われているのは地方議会のあり方で、議員数が多い、報酬が高い、働きぶりが見えないなど不信感が強い。そこに火をつけたのが「名古屋の乱」であった。しかし、地方議会の問題を議員の数や報酬の問題に限定してしまうと問題の本質を見失う。議会と首長を直接公選し、議会に議決機関、首長に執行機関の役割を与え、双方が独自性を発揮しながら抑制均衡を保つ。この「二元代表制」がうまく機能しているかどうかが、そこが問題なのだ。

 まさにこの通りだと思う。又、次のようにも言っている。
「二元代表制」はむしろ「機関対立主義」と称し、首長と議会の間に抑制牽制機能を与え、首長の暴走を議会が抑制する役割を期待している。これが首長支持勢力だけの「オール与党議会」になると本来の機能は失われる。

 これもしかりである。どこかの議会のことを言われているようだ。
参考までに、地方議員は兼業・兼職の許された非常勤の職であり、常勤職の国会議員と違い、「歳費」(給与)ではなく「報酬」が支払われる。報酬は給与と違い、非常勤公務員に労働の対価として労働日数に応じて支払われる。身分報酬でも生活給でもない。
 県議で80万、市議で40万、町村議で20万が平均となっているとのことである。