2011年5月17日火曜日

自己責任

東京大学教授の小森陽一氏はある講演の中で「日本社会における「自己責任」論の歴史」
として、以下のようなことを述べている。
1990年代後半の経済崩壊の中で、山一証券をはじめとして、日本の金融機関がつぶれた時に、公的な資金を入れるかどうか議論になりました。金融機関がよく判断しないで、不動産取り引きのバブル景気に加担する形で、返せもしないお金を貸し付けたから不良債権になった。それは銀行の「自己責任」ではないか、というところから「自己責任」という漢字の四字熟語がマスメディアに出始めたのです。企業の「自己責任」だという議論を展開している時に、その企業の中においては、「リストラ」という新しいカタカナ語が作り出され、様々な危機的な資金繰りがうまくつかない状況の中で、中年層を切るか、切らないかが問題になりました。日本においては解雇するということは法的に難しい状況にありますから、そこで企業の中で徹底した「成果主義」にし、これが過労死などを、作りだす非常に大きな要因になるわけです。それで競わせてリストラをしていったのです。

又、2004年の「イラク人質」の時に変質したとして
日本の自衛隊が行くということで、それまでイラクの人々に信頼されていた高遠奈穂子さんまでが拉致された。それは日本が自衛隊を派遣するからでしょう。少し考えれば分かることなのです。ここで本当にみんなが「なぜあの事件が起きたのか」と考えたら、小泉が悪いとなるでしょう。その「なぜ」という問いをつぶすために「自己責任」論をあおったのです。行った奴が悪い、それでみんなスッキリしたのです。自分たちが悪いのではない、という気持ちを固めようとしたのです。

言葉の習慣と考える力との相互関係として
このある与えられた結果にして、原因を考える、あるいは理由を考える。「なぜ」という問いをつぶしたときに人間は思考停止して、感情だけで動くようになる・・・

 この「なぜ」と言う問いは今の大震災、原発災害の時にもしっかりと問う必要がある。「なぜこんなに多くの人が犠牲になったのか」「なぜ原発災害はこんなに混乱をもたらしているのか」等々・・メディアの一方的な情報に操作されない思考が求められている。震災被害者や、原発被害者がまさか自己責任だと言われることはないと思うが・・

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