2012年3月10日土曜日

被爆労働者

以前にも、紹介した「犠牲のシステム福島・沖縄」の中に、ぜひ知って欲しい箇所がある。「犠牲のシステム」で、第一の犠牲は「過酷事故」であること。次に第二の犠牲として「被爆労働者」を挙げている。以下、長いがぜひ読んで欲しい。これが実態なのだ。

第二の犠牲   被曝労働者
 原発が犠牲のシステムであるのは、第二に、被曝労働者の存在を前提にしているからである。被曝労働者の問題はすでに1980年前後から、いくつかのルポルタージュ作品によって取り上げられていた。たとえば、堀江邦夫『原発ジプシー』(1979年)や森江信『原子炉被曝日記』(1979年)、あるいは樋口健二『闇に消される原発被曝者』(1981年)、鎌田慧『日本の原発地帯』(1982年)などである。したがって、問題そのものは少なくとも一部では知られていたのだが、原発批判につながる言論がタブー化・周緑化されるなか、広く知られることはなかった。被曝労働者の実態が一部ではあれマスメディアを通して広く報じられたのは、福島原発事故の結果である。
 それも最初は、海外の報道によって「フクシマ50」と呼ばれ、後に国内で「平成の特攻隊」「決死隊」などと呼ばれることによってであった。最悪の破局を防ぐために原発内で被曝しながら命をかけて作業している人たちがいる、彼らこそ英雄だ、いう称賛の声が上がったのだ。
 作家の佐藤優氏は「この危機を脱出するために、生命を日本国家と日本人同胞のために差し出さなくてはならない人が出てくる」と言って、国家のための死を「尊い犠牲」として顕彰する言説を展開した(佐藤優)。海江田万里経産相は、「現場の人たちは線量計をつけて入ると(線量が)上がって法律では働けなくなるから、線量計を置いて入った人がたくさんいる」として、「頑張ってくれた現場の人は尊いし、日本人が誇っていい」と称賛した(朝日新聞7月24日)。
 靖国神社は戦争で倒れた日本軍兵士たちを、「お国のために」自己の生命を犠牲にした「英霊」として、その功績をたたえ、そのことを通じて、遺族を心理的に慰撫するだけでなく、国民を戦争に動員し、戦死者を出しつづける国家指導層の責任への問いかけを封じる役割を果たした。
 原発事故において、大量被曝を覚悟しながら働かざるをえない人々を英霊予備軍としてたたえることは、自分たちは安全な場所にいて彼らの犠牲から利益を引き出す人々の責任を見えなくしてしまう。彼らの犠牲から利益を引き出す人々とは、まず第一に、電力会社や原発関連企業の幹部たち、中央政府の政治家・官僚たち、原子力委員会、原子力安全委員会などに名を連ねる学者・専門家たち、要するに、この事故の収束に最大の責任を負う人々である。
 原発推進にかかわってきた地方の政治家(そのトップは県知事)と行政幹部もまた、ここに連なる人々であろう。佐藤栄佐久・前福島県知事が証言するように、原発危機では県ですら結局は二の次にされるという現実があるにせよ、原発推進に邁進した自治体の首長たちの責任は暖味にされてはならない。
確認しよう。事故に際して破局を防ぐためには、だれかが被曝労働の犠牲を担わなければならないというのが原発というシステムなのだ。
 恒常的に組み込まれた被曝労働
 こうした被曝労働は、危機のときだけ必要とされるのではない。原発内部では、とくに事故が起こっていないときでも、ほぼ日常的に末端労働者は被曝労働を強いられ、健康被害に晒されており、被曝が原因と思われる病気や死亡例が後を絶たない。そのことがすでに先述のルポライターの人々の証言や取材によって明らかになっている。
末端の被曝労働者は電力会社の社員ではなく、下請け、孫請け、ひ孫請けの会社が集めた非正規労働者であったり、寄せ場から実態も知らされずに集められた日雇いの労働者であったりする。経済的弱者であるがゆえに被曝しながらでも働かざるをえない人々の犠牲がなければ、平時の原発でさえ成り立たないシステムなのだ。
 3・11以後、3月中に被曝労働に当たった作業員約3600人のうち、100ミリシーベルトを超えた被曝者が124人いた。また3月から5月までで600ミリシーベルトを超えた人も2人いたとされている。4月25日作成の経済産業省の試算では、50ミリシーベルトを超える人が約1600人。最近の厚生労働省の発表では、7月末までに第一原発に投入された作業員は1万6000人で、100ミリシーベルト以上の被曝者は108人。作業員のうち200人近くがその後の所在がわからないという報道もあり、東電の管理の杜撰さ、使い捨ての実態が垣間見える。
 これらの数字がほぼ実態を表わしているとして、これは何を意味しているのだろうか。日本では原発労働者の被曝限度は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に基づき、5年間につき100ミリシーベルトを超えず、かつ1年間につき50ミリシーペルトを超えてはならないとなっている。一方、労災の認定基準は、たとえば白血病の場合、年間5ミリシーベルトである。こうした原発労働者の労災申請は因果関係が確定できないなどと斥けられることが多く、ほとんどが闇に葬られているといわれているが、過去35年間で労災が認められたわずか10例を見ると、白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積の被曝線量が最高の人は129.8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最低の人は5.2ミリシーベルト。
静岡県の浜岡原発で働いていて被曝し、1991年に白血病で亡くなった嶋橋伸之氏は、8年間の累積被曝量が50・93ミリシーベルトだった(藤田祐幸『知られざる原発被曝労働』)。
 こうしたデータをあてはめると、今回の福島原発事故収束のために作業に当たっている人たちからは、何千人もの労災認定者が出てもおかしくない。嶋橋さんと同じ基準をあてはめれば、何千人もの人が死亡することになってもおかしくない、ということになる。
 福島のケースで政府は累積250ミリシーベルトに基準を引き上げた。年間50ミリシーベルトが限度だというのに、250ミリシーベルトまで我慢せよというわけだ。3月17「日前後、細野豪志首相補佐官は「250ミリシーベルトでは仕事にならない」と引き上げを求め、菅首相が「五〇〇ミリシーベルトに上げられないか」と望んだのに対して、北沢防衛大臣の反対で引き上げが見送られたと報じられている(毎日新聞、7月25日)。250ミリシーベルトにせよ、500ミリシーベルトにせよ、これらの人々はすでに政府によって見捨てられていると言わざるをえないのではないか。
 二重の被害
 忘れてならないのは、原発で働く作業員のおよそ7割から8割は「地元」、原発立地および周辺の自治体出身者と見られることだ。
 東電によれば、2010年7月の時点で第1原発の作業員は6778人,うち5691人が下請け会社の社員で、福島県出身者は5174人だった。つまり約76パーセントが福島県出身者である。『原発ジプシー』の著者として知られる堀江邦夫氏によれば、堀江氏が所属した下請け会社の労働者約60人のうち、約7割が地元出身の農民や若者たちで、残りの3割が県外からの日雇い労働者だったという(堀江邦夫)。また、今回の事故で作業員の健康診断をした医師の証言では、約8割が地元の人で、避難所から通っている人が多かったという。
 つまり、原発事故の地元被災者が、被曝しながら事故の収束に当たらせられている、二重の被害者になっているということなのだ。
 このように見てくると、原発というものが、内部にも外部にも犠牲を想定せずには成り立たないシステムであることがわかる。日常的にも、危機においても、原発はその内部に被曝労働者の犠牲を必要としている。そして、いったん大事故になれば、まず地元とその周辺の人々や環境が、そして放射性物質の拡散によって、県境や国境をも越えて、広大な地域の人々や環境が犠牲とされるのである。


  しかし、原発に組み込まれた犠牲はこれだけでは終わらない。
第三の犠牲として、「ウラン採掘に伴う問題」。第四の犠牲として「放射性廃棄物をどうするか」となっている。3.11を迎えるにあたって考えたい問題である。

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