2012年3月6日火曜日

無言国ニッポン

非営利・協同総合研究所ニュースの理事長(中川雄一郎)のページという欄がある。「無言国ニッポン」というタイトルの記事があった。なかなか興味深い記事なので一部紹介する。

先般、朝日新聞の「声」欄(「無言国ニッポン」)に載っていた二つの投書に興味を覚えた(2012年2月17日付朝刊)。一つは「ひと声かければすむものを」と題する84歳の男性の投書である。もう一つは「『こんにちは』は客から言おう」と題する13歳の少年の投書である。
前者の内容はこうである。電車が駅に止まると、降りる人は「あたふたと、ひたすら前の人をかき分けて扉に向かう。ものも言わずに」。「ちょっとごめん」とか「降ります」とか、何でもよいから声をかければ楽に降りられると思うのだが、黙って降りようとする。また混んでいる回転寿司屋でも「横の男性の腕が私の前にニューツと突き出てくる。醤油差しを取ったのだ」。ひと言「失礼」と言って取ればすむのに。「そうすれば『どうぞと私が返す。それだけのことなのに、無言国ニッポン、鳴呼・・・」。
後者はこう書いている。父親の仕事の関係で約7年間フランスに滞在し、1年ほど前に帰国したばかりで、「フランスの習慣」がまだ抜けていない。「フランスでは、買い物でお店に入る時に『こんにちは』と挨拶するのが当たり前でした」ので、「日本で先日、コンビニに行き、僕はいつも通り『こんにちは』と言って店に入りました」が、一緒にいた母親に「恥ずかしいからやめなさい」と小声で注意されてしまった。以前から「周りの人が何も言わずに店に入るのに気づいていましたが、僕は、こういう場合、日本では挨拶しないということを改めて知りました。・・・後から自分が恥ずかしいことをしたのではないかと不安になりました」。(そして少年はこう続ける)「それにしても、日本ではなぜ、お客は挨拶しないのでしょう。僕はすべきだと思います。その方が気持ちよく買い物ができそうです。『客と店員』である前に『人と人』として挨拶できる国になってほしいです」。両者の投書も日常的にわれわれ「日本人」が目撃しているーーしかし、最近とみに不思議に思われなくなってしまったー生活の一コマである。前者は、(投稿者が「東京都府中市」在住なので)特に東京や横浜、それに名古屋や大阪などの大都会でしばしば目にする一コマであるかもしれない。私は時々地方都市に所用で出かけるが、このような場面に遭遇した経験はほとんどないからである。それにしても、このような「無言状態」が日常的になったのはいつから頃だろうか。
私の個人的な経験を含めて、この症候群が大都市を中心に伝染していったのは、自公連立の小泉政権(2001年4月~06年9月)が、金融市場と労働市場を中心にさまざまな部門において可能な限りの規制緩和を実施して、働けど働けど貧困から抜け出せない「ワーキング・プワ-」(workingpoor)を生みだした新自由主義政策=「小さな政府」を遂行し、その結果を「自己責任」という言葉でいとも簡単に括ってしまい、ついに人びとの間に二重三重の「新たな格差」が広がっていくのを許してしまってからではないか、と私は考えている。
「無言国ニッポン症候群」の伝染因子が明らかになったのは2004年の「イラクで人質になった日本人3名に対する(多数派の)日本人による激しいバッシング」であった、と指摘しておく。これは政治的にも社会的にも激しいバッシングであって、まさに「究極の自己責任」を問う恐怖感を日本社会全体に与えたのである。欧米人から見ても、この恐怖感は実に異常なものに映った。シカゴ大学のノーマン・フィールド教授(当時)はこの異常さを次のように語っている(朝日新聞2005年8月17日付朝刊)。「日本人は今、他人や社会の出来事との関係を拒否することが新種のアイデンティティになっていないか」。「(日本の)国民の圧倒的多数が、自分は経済的成功を遂げた国家の一員だと信じる社会、日本の国民的アイデンティティの核を作ってきたこの意識は、バブル崩壊後も生き続けている。日常に潜む抑圧を告発する個人は、この多数派から『私は黙ってこの日常を生きているのに』との迷惑意識を向けられる」。「イラクで人質となった3人へのバッシングもそうだ。3人は身近でないイラク人に共感し、個人として行動した。それは、無意識の日常生活を生きたい人びとには迷惑なことだったのである」。「日本国民の圧倒的多数派」は今もなお、「(日本社会の)日常に潜む抑圧を告発することは迷惑だ」、「黙って日常生活を生きていこう」と考えているのだろうか。福島原発事故を受けた「脱原発」を考えることもなく、また戦後67年にもなろうとしているのに、米軍基地が「独立国ニッポン」にかくも多数存在し、しかもその70%が沖縄にあるような「世界的に異常な状態」を許しておいて、「無意識の日常生活を生きたい」などと国民の多数派は考えているのだろうか。

新自由主義、自己責任、格差社会・・これらがキーワードとなりそうである。3・11大震災から、もうすぐ1年になる。あらためてこの言葉の中身を考えたい。

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