2012年2月29日水曜日

無関心の責任

下記の文章を山梨民医連新聞3月号の「一滴」欄に紹介した。その本(犠牲のシステム福島・沖縄 高橋哲哉著)で著者は「原発事故の責任を考える」の項で、責任は第一義的には「原子力村」にある。次に「政治家・官僚の責任」「学者・専門家の責任」を言っている。それは、市民の責任はあるのかと言う問に、「無関心だった責任」を言っている。以下、長いが紹介したい。

「3・11大震災」を忘れてはならない。1年前、大震災に遭った人たちは「一番怖いのは、人々意識の中で、震災が忘れられることだと言う」。忘れないためにも、私達ができることは何かと自問してみることが重要だ。そんな折、高橋哲哉氏の「犠牲のシステム福島・沖縄」(集英社新書)を、新聞の紹介欄で知り、購入して読んだ。その中での印象的な文章を記す。「福島は原発を受け入れ、その犠牲になりました。そもそも原発は犠牲のシステムなのです」「犠牲のシステムでは或る者の利益が、他のものの生活を犠牲にして生み出される。この犠牲は通常、隠されているか、共同体にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている」。「同じようなことが沖縄の米軍基地問題でも言えます。沖縄米軍基地の加重負担という犠牲でなりたっている安全保障のシステム=日米安保体制をこれ以上続けるのかという問題です。生半可な『政権交代』くらいではビクともしない戦後日本の国家システムが原因である。米軍基地も、原発も受け入れてきた国策そのものを見直して、この国策を変えていくしか展望がない」と言う。まさにその通りだと思う。であるならば、国策を変えるには何をすればいいか?私は次のように考える。「3・11大震災」を決して忘れないで、出来る限りの行動をすることだ。(一滴文章)

無関心だったことの責任
 では、電力を享受してきた都市部の一般市民の責任とはどういうものなのだろうか。一つには、知ろうと思えば知ることができた情報がありながら、原発のリスク、言い換えれば、そこに組み込まれた犠牲とその可能性について十分に考えてこなかった、甘く見ていた、無関心であったことについての責任があると考えられる。原発が大事故を起こす可能性があること、いったん事故が起きればどういう脅威にさらされ、どれほどの惨事を招くかについては、一定の年齢に達した人であれば、スリーマイル島原発事故(1979年)や、何よりもチェルノブイリ原発事故(1986年)によって知ることができたはずだし、とくにチェルノブイリ原発事故の後では、この国でも原発批判の議論が巻き起こったから、知る機会は十分あったはずである。また日本国内でも、福島原発の事故以前に、全国各地の原発および関連施設でたびたび事故が起こっていて、しかもそれらが電力会社によって隠蔽されたり、記録が改ざんされるなど、いくつものスキャンダルがおおやけになっていた。これらのことは、新聞・テレビなど一般の報道に接していさえすれば、十分に開示されていたとまではいえなくとも、まったく知ることができなかったとはいえない。とくに1999年9月30日の東海村JCO臨界事故では、ウラン燃料の加工作業に従事していた技術者、大内久氏、篠原理人氏の二名が死亡し、東海村の住民600人以上が被曝した深刻な事故となったため、マスメディアもこれを大きく取り上げた。大内氏が中性子線の大量被曝によって、懸命の治療を受けながらも悲惨な最期を余儀なくされた経緯は、NHKのドキュメンタリー番組でも報じられたし、その記録は現在、文庫本で読むこともできる(NHK 「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命』)JCO事故で放射能被曝の恐ろしさを少しでも感じたとしたら、原発のリスクについて、そこから考え始めるきっかけには十分なったはずだ。それにもかかわらず、私を含めて都市部(たとえば首都圏)の大半の人間は、地方(たとえば福島)に立地する原発から供給される電力の利益を享受するのみで、原発のリスクについて考えることを怠ってきた、甘く見ていた、あるいは無関心だった。そのことの責任はやはり免れないように思われる。東京・首都圏の人間も、福島原発事故で放射能汚染にさらされ、被害を被っているけれども、だからといって、当の事故に責任がないわけではないのだ。(著者)

確かに「無関心の責任」はあると考える。しかし、メディアが無関心にさせるようなことにならないような、情報提供をすることが前提であるべきだと考える。

0 件のコメント:

コメントを投稿