2012年2月10日金曜日

不安社会

県立図書館で「不安家族」(大島寧子)という本を借りた。サブタイトルとして(働けない転落社会を克服せよ)と書いてあった。まだ読みかけであるが、「はじめに」という文章を少々長いが、紹介する。この内容は全く同感である。

先進国の各地で、若者の悲鳴と怒りの声が上がっている。20119月末に「ウォール街を占拠せよ」という掛け声をきっかけにニューヨークで起こったデモは、米国の行き過ぎた競争社会や、大学を出ても就職が難しい現実、所得格差の拡大に反対する若者だけでなく中間層の支持を集めており、全米に広がる様相をみせている。
同じ年の8月には、英国ロンドンで、警官によるアフリカ系男性の射殺事件をきっかけに、大規模な暴動が発生した。暴動の背景の一つに、社会で得られるべき様々な機会から排除され、希望を失った若者が、自暴自棄な行動に出たことがあると考えられている。産業構造の転換や情報通信をはじめとする技術革新は、高度な知識や技能を持たない若者の経済・社会への受け入れを困難にさせ、当たり前の生活を送ることのできる仕事を縮小させている。若者が求めているのは、普通に生活できる仕事であり、これにつながる機会(チャンス)である。
これらは対岸の火事ではない。バブル崩壊後の日本でも、不安定雇用が若者を中心に広がり、今を生きることに精一杯で、将来の希望を持ちにくい人が増えている。
今、正社員として働いている人も安泰ではない。サラリーマンの生涯賃金は減少し、大企業も含めて、経済情勢が悪化すれば人員調整に踏み切る企業が増えた。また、いったん失業すれば、その後の失業期間が長期化する傾向は鮮明だ。今、安定した生活を送っていても、当たり前の生活から「転落」するリスクを感じずにいられる人は少数派であろう。
問題は、グローバル化や日本経済の低成長など厳しい試練を受けた企業が、雇用者との関係を見直していることにより生じている。企業は人材を長期育成し、戦力としていく方針を捨てた訳ではない。しかし、その対象となる人材を精鋭化している結果,企業に雇用されることを通じて、家族の生活が守られる仕組みから外れる現役世代が増えているのである。
この結果、日本の家族の生活基盤は大きく揺らぎ、「家族を持つこと」「子どもを育てること」が難しくなっている。未婚率は上昇し、子育ての経済的負担の大きさから、希望する人数の子どもを持てない夫婦もいる。さらに、日本の6人に1人の子どもが貧困状態にある。家族を持つこと、子どもを育てることが「当たり前のこと」ではなくなりつつある。本書のタイトルを「不安家族」とした理由はここにある。
このような状況は、一部の限られた人々の問題ではない。結婚しにくい、子どもを持ちにくい社会は当然の帰結として少子化を進行させ、経済や社会保障の未来の担い手を縮小させる。働きながら能力を高める道が閉ざされた若者の増加は、イノベーションの担い手を減少させる。女性が働きにくい社会は、経済と社会を支える人材の先細りを加速させ、家族が生活の安定化を図る手段を奪う。
国土は狭く、これといった地下資源もなく、食料やエネルギーの多くを輸入に頼る日本にとって、最大の資源は「人材」である。しかし今、急速に生産年齢人口が減少する中で、若者や女性を十分にまじめに活用できずにいる。人材を浪費し、未来を食いつぶす余裕など、どこにもないはずである。
それでは、現役世代が置かれる苦境を脱するためには、何が必要なのだろうか。筆者は、就労と生活を支える雇用政策と社会保障政策を今一度見直すことが必要と考える。これまで日本では、企業が人材育成や従業員の生活の保障を、女性が家事・育児などの家庭内労働を担うことを前提として,政府は、現役世代の「働くこと」「生活すること」を支える政策を「安上がり」に済ませてきた。しかし、そうした政策では、現役世代の生活の不安定化に対応しきれなくなっている。今求められているのは、「働くこと」 「生活すること」に関するリスクに、現役世代が対抗する「防具」「武器」となるような雇用政策・社会保障を強化することである。

問題は、解決策としてどんな具体的は事を考えているかと言うことである。出版が「日本経済新聞出版社」であるので、少々不安は残る。読み終わったら、読後感を紹介したい。

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