2012年2月22日水曜日

ジャーナリスト

民医連医療、畑田重夫氏の メディアへの「眼」は毎回読んでいる。あと1回で終了予定である。今回もその一部を紹介したい。ジャーナリストの上杉さんのことを中心に政治とはなにかを論じている。

ジャーナリストによるジャーナリズム批判
ジャーナリストを辞するの弁
上杉隆さんというジャーナリストの名前をご存じの読者は、さほど多くはないと思います。いわゆるフリージャーナリストの一人です。
上杉さんの記事の大要をつぎに紹介しておきましょう。「きょう、この原稿をもって私は12年間のジャーナリズム活動にいったん終止符を打つ」「なぜ辞めるのか。その理由はいくつかある。ただ直接のきっかけはひとつ、3・11の大震災による原発事故、それに伴う大手メディアのアンフェアな報道がそれだ」
「『安心してください』『被曝の心配はありません』『食品はすべて安全です』こうしたニュース自体は問題ではない。問題は、そう報じておきながら、自らは原発から50キロ圏外の安全地帯に逃げ込み、家族を遠くへ逃がしていた記者がいたのだ。それはジャーナリストとしてよりも、ひとりの人間として卑怯である。そうした卑怯者たちとともに同業者であるというのは私の小さな良心が許さない。よって日本において、私は『ジャーナリスト』という職業を捨てることに決めたのだ」
そこで想い起こすのが、2011年の秋日本を訪れたブータンの国王夫妻のことです。あの国は、九州くらいの面積で人口約70万人ほどの極小国です。核兵器を保有する大国中国と、同じく核兵器をもつインドという大国との間にはさまれて存在している国ですが、同国には「核抑止論」や、国の安全保障のための軍事力増強などという考え方は全く芽生える余地もありません。国民のすべてが、真の意味での幸福感を味わいながら平和に暮らしているというのです。GNH(グロス・ナショナル・ハピーネス)といって、日本語に訳すと「国民総幸福量」という考え方が上から下まで、国のすみずみまで徹底しているというのです。GNP(グロス・ナショナル・プロダクト)、つまり「国民総生産」という一般の国ぐにで言われている概念もこのブータンという国には無縁なのです。
それは、国王自身が、住民たちの家に泊まり、ひる蚊にさされたり、蛭に血を吸われたりしながらすべての国民とともに苦楽を分かち合いながら生活をしているのです。したがって、国王が何かを言っても、国民はそれを素直に受けいれることができるわけです。
それに反し、日本の保守的な政治家たちが「国民の皆さん!」「被災地の皆さん!」などと呼びかけながら何かを言っても、心底それを信頼する国民(住民)は少ないのではないでしょうか。生活苦にあえぐ多くの人々や、放射能被害を心配しながらこの寒空のもとで避難生活に耐えている被災者たちに、たとえ同情めいた言葉を口にしても、自分たちは、都市での満員電車の通勤苦も知らず、豪華な邸宅や議員宿舎で何不自由なく暮らしているのですから、庶民の真の苦しみがわかるはずはなく、それを国民や被災者たちはちゃんと見抜いているわけです。

我々、民医連職員も口では立派なことを言っていても、患者さんの立場にたって物事を理解するよう訓練をしていないと、同じようになってしまうのではないか。これ克服する手段はなにか・・。現場から学ぶ謙虚さが求められる。

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