2012年2月13日月曜日

なかにし礼


 なかにし礼と言えば、私には「歌謡曲」の作詞家で一世を風靡し、小説家としても一家をなした人と認識している。小説も「長崎ぶらぶら節」「赤い月」の2冊を読んだことがある。そのなかにし礼氏が「歌謡曲から昭和を読む」と言う本を書いた。かなりの博識であるとともに、世の中をみる眼は確かなものだ。一部紹介する。

私は、「愛国的」つまり「日本のため」と言うこと自体、芸術家として根本的な誤りで
あると思う。問題を軍歌にしぼれば、作詩家であれ作曲家であれ、作家というものはどんな場面にあっても、最高の作品をつくろうと力を尽くすものである。それ自体はもちろん悪いことではない。しかし、その結果、作家の卓抜な技によって煽り立てられて戦地に赴き、戦死したり苦難を強いられたりした若者が大勢いたことに、作家たちは罪の意識を感じなかったのだろうか。感じていたら、次々に書くことなどできないはずだから、山田(耕筰)がそうであるように、ほとんど感じていなかったにちがいない。そこに彼らの罪がある。
平成21年(2009)、イスラエルのエルサレム賞を受賞した作家の村上春樹は、授
賞式で、「高くて硬い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と自らの文学的信念を語り列席していたイスラエル大統領の面前で、イスラエルによるガザ侵攻を非難した。私は一人の作家として、この言葉に共感する。作家はどんな国も支持してはならないし、どんな主義も支持してはならない。支持した瞬間、作家は「主人持ち」になりその側から発言することになる。
それは村上春樹の言葉を借りれば「壁」になることに他ならない。仮にいま戦争が起きたとして、国策に沿った歌を書くように言われても、私は絶対に書かない。それは政治思想の問題ではなく、歌をつくる人間として、あるいは作家として、「主人を持ってはならない」と考えるからである。芸術に携わる人間は、決して自らが「壁」になってはならないのだ。
歌というものは直接聞き手の情緒に訴えかけるものなので、その影響力は計り知れないほど大きい。私は別に軍歌好きではないが、にもかかわらず、戦後65年以上をへた今でも、相当数の軍歌を暗唱することができる。それほどに大きな影響力を軍歌は持っている。その大きな影響力をまともに受けて死んでいった若者たちがいたことに、作家たちが罪の意識を感じなかったとすれば、彼らは「壁」だったのだ。自らの技術を国家に提供し、国家の行う戦争に協力する、御用作家という名の「壁」だったのである。
軍歌の制作に携わった作家たちの多くは、戦犯指定を逃れた後、手のひらを返すように活動を再開し、戦後の歌謡界で活躍した。個人を責めるのは酷かもしれない。私自身、面識のある人の非をあげつらうようなことは慎むべきかもしれない。しかし、歌謡曲の実作者であり、戦争体験者でもある私は言わなければならない。彼らのつくった歌を、ただ「いい歌でした」と言っているだけでは、歌謡曲の歴史をたどる意味がないのである。
いい歌であればあるほど罪深い。いい歌であればあるほど、多くの若者を死なせている。そのことは確認しておかなければならない。歌とは、場所と機会を与えられたら何でもかんでも書けばよいというものではない。書いてはならない場所というものがある。フランスでは、かの有名な「枯葉」を作詩し、名画「天井桟敷の人々」の脚本を書いた詩人ジャック・プレヴェールが「パルバラ」という美しい反戦詩を書いている。彼我の差にあらためて驚くのである。

「赤い月」は彼の生い立ちをもとに書かれた本である。ぜひご一読を。
ちなみに、なかにし礼の創った歌で私が一番すきな歌は、「石狩晩歌」である。



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