2012年5月23日水曜日

戦後沖縄の人権史

「本土復帰」検証のよすがに、と言うことで、沖縄人権協会編著で「戦後沖縄の人権史」というタイトルの本が紹介されていた。わたしもこれから購入して読むつもりである。池田香代子氏(翻訳家)の紹介文章を以下に記す。

人権というキーワードで沖縄の戦後を年代記のように記述する。これは、編著主体である沖縄人権協会にしかできないことだ。本書が施政権返還協定発効から40年の節目に上梓されたことの意義は大きい。沖縄はなぜ「本土復帰」を望んだのかを今一度確認し、その目的は達成されたのかを検証するためのよすがとなるからだ。
「復帰」前、沖縄は、「同朋を日本に連れ戻したい」というような「本土」側の情緒とは、完全に無縁だった。まさに人権がない状態にあって「本土」が享受している平和の果実、つまり日本国憲法を発見し、それを獲得することを目指したのだ。
「本土復帰」はそのための手続きだった。けれど、日本という国家は沖縄を裏切り続けた。百歩譲って、サンフランシスコ条約で沖縄を切り離したのは、敗戦国としていたしかたなかったと弁明できるかもしれない。けれど、施政権返還時に米軍基地への土地提供などをめぐって、法制化や密約を駆使してなされた行為は、確信犯的積極的な裏切りであり、それが、地位協定見直しも普天間閉鎖も実現しない現在の裏切りへと直結している。
読み進みながら、ある判決を思い浮かべていた。人権は平和があって初めて実現される、だから憲法前文の平和的生存権は異体的な人権だとした、イラク自衛隊派遣違憲訴訟にたいする名古屋高裁の判決だ。巻末近く、この判決が引用されていた。
そう、軍隊があるところに平和はなく、平和のないところに人権は乏しい。この国の政治は、それをいつまで沖縄に実証させておくつもりかと、天を仰いだ。

5月いっぱい、私は沖縄にこだわるつもりだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿