2012年5月7日月曜日

花村萬月

花村萬月という作家を知っていますか?久々に彼の本を読んだ。彼の自伝的な本「父の文章教室」(集英社新書)に書いてある中で、興味ある文章を紹介する。

この文章を読んでいる方が人の親ならば、心のどこかに、我が子を群れから抽んでた特殊な存在にまで高めたいという思いがあるのではないでしょうか。
自惚れてしまえば、私という人間についての多少の興味があって読んでいてくれるのかもしれません。しかし、決して私の幼いときの苦労話や愚痴をききたいわけではないでしょう。
あまり自覚がないのですが、私は、世間的には、それなりに成功した小説家として扱われているようです。読者諸兄には、インテリコンプレックスを擽る小説家という職業にいかにして就くか、あるいはほとんど学校にも通っていない花村が小説家として予定納税をするほど稼いでいるその秘密、なんらかのヒントが見いだせないかという実利的な興味があるはずです。とりわけ知識階級なるうそ寒い階級に属する人ほど私という畸形に興味があるのではないか。
と、あえて嫌みなことを書いて、私は生あくびをかみ殺します。教育は才能の開花の一助にはなるでしょうが、才能そのものではありません。幼いころから作文を書かせ、読書をさせれば小説家になれるというものではない、ということです。
この連載の担当者である落合君も、いわゆる英才教育に類する早期教育の弊害を充分に感じとっているにもかかわらず、御子息の音楽的才能についてを語るときには、微妙に目の色がちがう。
もちろん落合君は息子にピアノを弾くことを強要しているわけではありません。ただ自発的にピアノに向かい、教師も驚愕するほどの上達をみせる我が子が誇らしくないわけがありません。
しかし、これは、もはや片足を踏みはずしている状態です。というのも、私の父も、私が絵画的能力を示したことにより、私に対する英才教育を始めたからです。
万が一、息子がピアノに飽きてしまったとしたら、落合君はどうするのでしょうか。そこで息子にピアノを弾くことを強要しないのならば、なんら問題はありません。しかし、心のどこかで,せっかくの才能がもったいないと思うでしょう。
子供に才能を見いだすーー。
悪いことではありませんが、親という存在は、我が子に対する客観が欠けている。「たしかにそうだが、私に限っていえば、そんなことは、ない」と冷静に頬笑んだあなたは、見事に客観に欠けている。悧巧ぶっている阿呆、という賛辞を捧げます。
ちょうど自分自身が愛おしいように、自分のレプリカを愛してしまう。
これは子に対する愛情を持つ親であれば避けられない現象なのです。しかも子供に対する愛情が深ければ深いほど、危うさの度合いも増していきます。また、親の能力、あるいは教育程度が高ければ高いほど、その危うさも倍増していくのです。
物でも人でもいいのですが、愛を注ぐ場合に必ずついてまわるのが、過大評価です。愛情を注ぐ対象を過剰に持ちあげてしまう。なぜかといえば愛(情)というくらいで、その衝動の主体をなすものが情だからです。つまり感情に引きずられてしまい、理性や分別をどこかに置き忘れてきてしまう。
だが、子供は独立した存在です。親とはまったく無関係の(自己決定能力としての人格が確立しているかどうかはともかく)人格です。
今回は、ひたすら嫌みなことを書いています。なぜかというと、あなたに知的コンプレックスがあるのならば、それを自覚していただきたいからです。
その自覚がないままに、子供に早期教育を施すことほど危険なことはありません。
文章を読み解く力に劣る方のためにあえて補足しておきます。私が棘のある言葉を並べている理由は、子供のためだからーという大義名分を棄ててください、ということなのです。
子供に英才教育、早期教育を施すことの是非など私にはどうでもいいことです。いくら良い親を演じてみたところで、所詮は、子供は親の持ち物にすぎないのです。
ですから、子供に英才教育を施すならば、それは自分の満足のためである、と、冷徹に認識してください。子供の将来のためだからといった偽善と欺瞞を用いると、英才教育は絶対に失敗します。断言してしまいますが、偽善と欺瞞でスタートすれば、それは英才教育というよりも、家庭内暴力の芽を育てているようなものです。
私は父親から常軌を逸した英才教育を施されました。そして、その教育からもたらされたものは無数の仮面でした。十七歳くらいでしたか、私は自分が(老人仮面)をかぶっていると規定したのです。老人仮面というのは十七歳の私の造語であり、幼いなりの決意と決心が込められていたのです。
自分を特別扱いするのは相当に恥ずかしいことですが、十七歳だった私は、周囲の同年代の少年とはまったく別の生き物でした。しかも仲間には自分が別の生き物であることを気取られぬための演技を巧みにこなして、自身のかぶる仮面の出来映えに満足するといった歪みを愉しんでさえいたのです。


彼の本を読んだことのある人なら、彼の成育歴を知りたいと思うだろう。私より若い年代で、中卒で芥川賞を受賞している。文章に出てくる漢字をおそらく全部読める人はいないであろう、と言いたいほど難しい漢字を使う作家でもある。私も2-3冊読んだだけだが、好きな作家の一人である。 以下全部読めた人は、花村萬月の読者になれますよ。
PS: 抽んでた(ぬきんでた)
   擽る(くすぐる)
   驚愕(きょうがく)
   頬笑む=微笑む
   悧巧=利巧

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