2014年5月21日水曜日

山崎豊子


昨年9月、山崎豊子がなくなった。彼女の小説はほとんど読んでいる。社会問題をテーマにした小説で彼女の右にでるものはいないと思う。
日経に中国の比較文学者、張競氏が「作家と中国」というエッセイを書いている。その中で、山崎豊子氏の事を書いている。一部紹介する。
「胡耀邦がいなかったら?」『大地の子』についての取材を受けた時、そう聞かれたことがある。
「この小説は書けませんでしたね」と、山崎豊子はきっぱりと答えた。
中国の歴代指導者のなかで、故胡耀邦総書記は日本に対して稀に見るほど好意的である。たとえ県知事が訪問してきても、時間さえあれば会見していた。本来、政治的な力をまったく持たない作家と会うのは何のメリットもない。だが、山崎豊子だけは例外である。しかも、会見したのは1回ではなく、3回だ。
1984年の1回目のとき、北朝鮮の金日成主席が126日から中国を非公式に訪問した。緊急に協議すべきことがあったのであろう。胡耀邦は27日に続き、28日午前も金日成と会談し、餞別の宴会の後、専用列車で帰国する金日成を北京駅まで見送った。山崎豊子との会見に臨んだのはそのあくる日だ。
翌年の8月、中曽根首相の靖国の公式参拝をきっかけに日中関係は急速に悪化し、胡耀邦は10月に訪中した安倍晋太郎外相とも会見を行わなかった。そんな険悪な雰囲気の中で、12 7日、胡耀邦総書記は山崎豊子と2回目の会見をした。
もっとも不思議なのは3回目である。政治改革を求める学生デモの責任を問われ、胡耀邦は87116日に辞職を余儀なくされた。鄧小平との対立はその前から表面化し、胡耀邦もすでに気付いていたはずだ。もはやたいして用もない作家に会見するどころではない。にもかかわらず、辞職のわずか2カ月半前、山崎と3回目の会見をした。
あらためて「大地の子」のDVDを借りて観た。又、並行して小説も読みなおしている。20年以上も前に書かれた小説であるが、色あせていない。

 

 

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