2012年1月27日金曜日

自由貨幣


エンデの遺言という本から、ユニークな部分を引用しよう。

自由貨幣・減価するお金の仕組み
例えば、私たちが財布にもつ千円札は、インフレやデフレの影響を考えなければ、今日も1000円の値打ちですし、明日もそうです。ところが、この世のものは何であれ、時の経過のなかで、錆ついたり、劣化したりしていきます。若くぴちぴちした肌にもいつしか皺が刻まれます。でもお金は、例外なのです。永遠の命を願ったという秦の始皇帝もお金に変身できれば、永遠の命を手に入れたことでしょう。ですから人は、時の支配を受けないお金に期待をかけます。お金がすべてだとも考えるようになります。そして、お金を貯め込んだりすることになります。蓄財です。
これはプラスの利息をとって貸し出されます。そうすると、世の中で取引に必要とされるお金に対する需要とこれに応ずるお金の供給が一致しなくなります。お金の供給がいつも需要を下回った状態となります。すると、お金を借り入れるコスト、つまり利息が高くなります。ところが、この利息は皆がつくりだした富を増やさずに、その分だけ富から取り去られるわけです。当然、お金の需給が一致しないと経済には構造的な不均衡が発生します。経済が危機を迎えることがあるのは、いまあるようなお金の仕組みに原因があるということになります。
お金は人がつくりだした商品を社会に配分するための潤滑油のようなものでした。 血液が人体に栄養を送り、生体を維持させているように、社会という有機体を維持するために循環していなければならないものです。金は天下の回りもの、なのです。しかし、人はお金という流動性をもとうとします。そうすると、例えば100の値打ちの商品が取り引きされるには100の値打ちのお金が必要ですが、その意味でのお金と商品の間の対称性が崩れます。お金が循環しなくなるわけです。

私達は、お金をためれば、多いか少ないかはあるが、増えるものと思っている。そのことが、利子が一部富裕層に集まる元凶となっているとは。お金も減価し、蓄財しないようなシステムができれば、貧富の格差もなくなっていくのだ。その実践として「地域通貨」がある・・・。興味あるかたはぜひこの本を読むべし。

2012年1月23日月曜日

食事の回数

  以前にも紹介したが、北岡正三郎氏の「物語 食の文化」という本は面白い。
今回は日常の食事についての記述を紹介する。

日常の食事
二食 現在文明国の大多数の人々は毎日朝、昼、夕と三回の食事を摂っているが、 一日三食の風習は多くの国でつい数世紀前に始まったもので、それまでは1日二食であった。有史以前から農耕社会や牧畜社会では、作業に出かける前と帰った時、一日二度食事をするのか合理的であった。
ヨーロッパ圏では古代エジプトと古代ギリシアが一日三食であったが、古代ローマでは一日二食になり、以来ヨーロッパでは中世を通して、貴族階級を除いて正午頃と夕方の二回の食事をした。二食のうち昼の食事が正餐で質量ともに十分に食べ、夕方の食事は軽いものであった。夕方から翌日の昼までの空腹の時間は英語で「ファスト」(fast.飢餓)と呼ばれ、昼の正餐はそれを破る(break)もので「プレックファスト」(breakfast)と呼ばれたが、今はこの語は朝食の呼称になっている。フランス語の朝食「デジェネ」(deJeuner)も同様の意味を持つ語である。
貴族たちは中世から朝食を取っていたが、パンをワインに浸すだけの簡単なものであった。しかし朝食を取ることは特権階級の特権の一つであった。教会は健康を維持するためには二食で十分で、大食を戒めた。大食はキリスト教の七つの大罪に含まれる大罪であった。中欧諸国やイギリスでは近世まで、食事は必要止むをえぬ行為であるが、それ自体は罪に近い行為と考えられた。
一方ラテン系の国々では食べることは楽しみであった。
三食 一五世紀から十六世紀にかけてヨーロッパでは1日三食の風習が庶民にも浸透し始め、地域や社会層によるが十八世紀には各地に普及した。一日三食はそれまでの昼食と夕食に朝食が加わった形であり、依然として昼食が一日で最も重要な食事(ディナー〔diiner)であった。

一日三食はつい最近の習慣のようだ。「ブレックファスト」の語源がこんなところから来ているとは知らなかった。中欧諸国や、イギリスでは、食事自体は罪に近い行為であるとは。健康のために、1日三食きちんと取らなくてはいけないとう考えは正しいのだろうかと考えてしまう。

2012年1月19日木曜日

エンデの遺言

 「エンデ」という人物をご存知だろうか。私は名前だけ知っていただけである。本の帯に書いてあるつぎのような言葉に目が止まった。「どうすればお金の支配から自由になれるか」「老化するお金」「時とともに減価するお金」・・・・。興味ある方は「エンデの遺言」(河邑厚徳)という本を読んでみて欲しい。少し長くなるが、前書きの概略を紹介しよう。

私は、この本のメッセージは古びていないと思います。最初の出版から世界の基本は少しも変わっていません。利己的な経済効率優先の旗印の下に、人は地球をくまなく利潤追求の対象としてきました。そのスピードはますます速まり、問題が広がっていますが、誰もブレーキをかけられません。ブレーキのありかも定かでないように思います。
とらわれない目でなぜ?″と問う子どものように、改めて自明なことに目を向けてみる。本当の変化はそこから生まれます。代表作である「モモ」で時間を考えたエンデは、小さな人たちの未来を健やかにしたいと願っていました。第1次大戦後のハイパーインフレに苦しんだドイツで成長し、直観と思考の末に問題の根本はお金にあると考えたのです。
今から22年前の1989年、西ドイツ・ミュンヘン(当時)'初めてエンデと会った印象は強烈でした。
エンデに、NHKスペシャル「アインシュタイン・ロマン」の案内役を引き受けてもらうための出会いでした。取材をはじめると、エンデはあっさりと、アインシュタイン神話を否定しはじめました。私たちは、一人で相対性理論を発見したアインシュタインを憧れのスーパースターだと考えていました。
そこでエンデに同意を求めました。
「アインシュタインが原爆投下を知って『オーヴエー(ああ悲しい!)』と叫んだのは、悲痛な怒りの言葉ですね」と。
しかし、エンデはこう答えたのです。
「そうかもしれませんが、ドイツ人は財布を落としたときにも『オーヴエー』と言いますからね」
特殊相対性理論が核エネルギーを予言し、アインシュタイン自身が、核兵器開発を進めるルーズベル-トへの手紙にサインした事への痛烈な皮肉でした。「科学技術は何をしてもいいのではなくその結果に対する責任がある」。これがエンデの姿勢でした。最初は戸惑いましたが、常識はまず疑ってみるという、エンデらしい発言だと感じるようになりました。
その時、エンデが本当に考えていたのはお金の正体〃でした。そこで見えたことは、お金が常に成長を強制する存在であることです。科学とお金は共通点があります。現状に満足することがなく 科学は進歩″ を、お金(資本)は成長″ を追い求める点です。それが誰も疑わない現代の神話です。
お金が持つ成長への強制には理由があります。時間とともに加算される利子です。時間がたてばたつほど利子は増えるので、投資されるお金はそれに見合う見返りを求めます。私は、このような金融の仕組みとともに、もう一つ成長を強制する力は"人間の欲望だと思います。時間とともに膨らむ利子と欲望を推進力として、お金(マネー)は、国境を越えあらゆる分野で利潤を求めます。
経済はヒト、モノ、カネが市場や情報を通じて流動する生き物であるとよく言われます。ヒトがモノやカネを動かし雇用が生まれ、私たちの生活もその上に成り立っています。モノは地球上の限られた資源や環境です。ヒトもモノも自然界に所属する有限の存在です。しかし、肝心のカネは、紙に印刷したり、コンピューターで取り引きされる数字として人間が作り出したものです。自然の実存から遠い存在(バーチャル)なので、時間とともに増え、永遠に価値を持つことができるのです。エンデの『はてしない物語』は、リアルな実世界がバーチャルな虚無の国に少しずつ侵食される戦いを描いています。 
エンデは、経済を動かしているお金は、生き物の命を支える血液のようであるべきだと考えました。生き物の血管を流れる血液は役割を終えれば老化して、排せつ物として消えていきます。経済活動という有機体にも血液のようなお金が循環したら、いまとは全く違う世界になるはずです。
そもそもお金とは何か? お金は、人がつくりだしたものだから変えられるはずと、歴史を調べ、ゲゼルの経済学や地域通貨の存在に注目したのです。経済という天秤の一方の皿の上に有限な資源や人間、もう一つの皿に無限に増えるお金。2つは最初からアンバランスなのです。その不均衡は時間が経つごとに広がります。均衡しているように見えるのは何かが奪われて天秤の皿にのせられたからです。何が奪われたのでしょう。
21世紀になってもとどまることなく進む現象にそれが表れています。失業者が増え一部の国や人だけが富を得るという地球レベルでの貧富の拡大。資源の枯渇や砂漠化など自然環境の悪化です。『モモ』の時間貯蓄銀行の寓話は、有限な時間に利子をつけ永遠に銀行に貯蓄できるという、金融錬金術のまやかしを描いています。
人々は、″幸福″ はお金やモノでは得られないことに気づいて、新しい世界を求めていますが筋道が見えません。「どうすればお金の支配から自由になれるのでしょうか?」
もう一度エンデの問題提起に耳を傾ける時だと思います。不均衡な天秤のバランスを戻す知恵は、例えば、「時間とともに消えていくエイジング・マネー″や、時間とともに減る利子(マイナスの利子)など・・」経済学者や政治家が考えない自由な発想を、エンデは遺言として残してくれました。読む人それぞれが、この本から希望の手がかりを見つけてほしいと思います。

 この本を読んで、以前読んだ内橋克人氏の本に書いてあった「お金とマネーは違うものである」と言う言葉を思い出した。内橋氏も「エンデ」から、学んでいるのである。

2012年1月14日土曜日

山本周五郎

以前にも、書いたが、甲府の銀座通りにある「春光堂書店」で山本周五郎の本を購入した。「山彦乙女」という本である。山本周五郎が山梨の生まれであることをその本で知った。山本周五郎と言っても、若い人はぴんとこないと思う。私達以上の年代では、知らない人はいないと思う。その中で面白いところを抜粋する。

話題はしぜん、甲府のことが中心であった。半三助はそのなかで、「隠し言葉」「隠し草鞋」「隠し場」などということを面白く聞いた。それは、甲斐の国には温泉が七つあるが、みんな所在が秘密にされていたこと。「ゆこう」と云うばあいに「ゆかず」と、反対に言うこと。また草鞋(わらじ)は前うしろが逆に作ってあり、したがって地面には足跡が逆になって残ること、などであった。・・・・幸之助はびっくりして、思わずこう質問した。
「どうしてそんなにみんな隠なしちゃうんですか」
叔父は笑って、「それがねえ、みんな武田信玄の計略だっていうことだよ」
言葉で敵の耳をくらまし、足跡で敵の眼をくらます。というわけだそうである。また甲府しか周辺の言語や風俗には、信玄にむすびつけて伝承されるものが少なくない。
たとえば「叱られる」ということを方言で「よまあれる」というが、これは信玄が家来の過失を書きとめておいて、適当なときに、まとめて読み聞かす、―― おまえは某月某日これこれの失策をした、某月某日にはしかじか、某月某日には、というぐあいに叱る。つまり読みあげられる、読まれるという意味だそうで、ほかにもこれに類することは驚くほど多い、と叔父は云った。
「もちろん真偽のところはわかりません、おそらく付会したものでしょう、信玄を敬慕する感情からうまれたんでしょうが、とにかく土着民の信玄を崇拝することは、殆んど宗教的といっていいほど、根づよいものです」
「それだけ武田氏の治世が長かったんだね、六百年か七百年は続いたんだろう」「六百年が少し欠けるくらいでしょうかね」
それからまた、信玄の石棺、という話が出た。省略していうと、信玄が勝頼によって武田氏の亡びることを予断し、やがて再興をはかる者のために、伝来の白旗や、兜や、宝玉黄金などを巨大な石棺におさめて、どこかへ隠してある、というのであった。

付会:こじつけること。
私も、30数年前に山梨に来て、甲州弁はかなりわかるようになった。その由来が、付会であろうが、こんなことから来ていると思うと楽しい。

2012年1月10日火曜日

忘れてはならない

 毎年、お正月に実家に帰った時は、岐阜の伊奈波神社にお参りをする。ほとんど、何もお願いはしないのだが、今年は何故か、家族の幸せを心の中で、呟いた。
 この変化はやはり、昨年の東日本大震災からきているのであろう。決して忘れてはいけない。以前にも紹介した、吉村昭氏の記事が日経に載っていたので、概略を紹介しよう。
 
 東日本大震災後に吉村さんの『三陸海岸大津波』(1970)や『関東大震災』(73)が脚光を浴びたのも徹底した取材や検証で、証言や記録を発掘し、史実に迫った吉村文学への信頼からだった。三陸海岸を初めて訪れたのは60年代半ば。芥川賞候補に4回なったが、いずれも落選していた。田野畑村(岩手県下閉伊郡)出身の友人に「小説の舞台にふさわしい土地がある」と聞いたからだ。たどり着いた村は、典型的なリアス式海岸。切り立った絶壁の恐ろしさに背筋が凍りついた。この地を舞台に少年少女の集団自殺を描いた『星への旅』で太宰治賞を受賞し、文壇への足がかりをつかんだ。
 その後毎年のように訪れるうち、村が明治29(1896)と昭和8(1933)に大津波に襲われたことを知り、三陸海岸を回って書いたのが『三陸海岸大津波』だった。大津波で壊滅したことで、村には巨大な防潮提があった。しかし、吉村さんはこの防潮堤に敬意を払いながらも、古老の証言から明治29年の大津波では海水が50㍍もはい上がったことを聞き出し、「大津波が押し寄せれば、海水は高さ10㍍ほどの防潮堤を越すことは間違いない」と警告した。
 1999年には村で講演し「津波というものは、地球上にある限り、必ずやってくるものです」と強調していた。吉村さんの警告通り、昨年の大震災では津波は防潮堤を乗り越え、村に死者行方不明者40人の甚大な被害をもたらした。
 東京の下町、日暮里生まれで少年時代から歌舞伎、芝居、映画、落語、講談、相撲に親しんできた。実家は製綿工場を経営し、汗を流す職人の背中を見て育った。自身も職人肌で「書斎で机に向かっている時が1番休まる。取材で月に23回は旅に出ますが、すぐに帰りたくなる。2泊が限度でそれ以上いられない」と話していた。
 同じ昭和2年生まれの城山三郎や藤沢周平と親しかった。物心ついてから戦争一色だった。ろくまく肋膜炎や肺結核という大病を患い、姉、母、父は病死し、兄は戦死し、隅田川に浮かぶ大量の死体を見てきた。死を意識しながら青春を過ごした。戦争、避災、津波、脱獄、漂流、逃亡、テロなどの事件を題材に、過酷な運命に翻弄される人間のドラマを描いてきた背景にはこうした半生が投影されていた。妻で小説家の津村節子さんによると、がんと闘って入退院を繰り返した吉村さんは自宅で療養中に首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートの針をむしり取って亡くなったという。吉村さんらしい毅然とした最期だった。

 私は、職人は好きだが、謙虚な職人が好きである。よく威張った職人を見かけるが、いただけない。

2012年1月5日木曜日

ロビンフッド税

15日号の「平和新聞」に興味ある記事があった。

金融取引に課税を!  伊新首相が導入検討
先月就任したイタリアのモンティ首相が1214日、国際金融取引税の導入検討を表明した。国民の税負担を軽減する一方で、2013年までの財政赤字解消に必要な税収を確保するのが狙いという。
欧州では、すでに独仏やスペインなどが導入支持を表明している。しかし英国やイタリアのベルルスコーニ前首相らが強く反対していた。同国の方針転換で、導入に向けた弾みがつきそうだ。
金融取引税は、通貨や株、債権その他の金融派生商品の取引に課税するもの。暴政に抗して貧者の味方となった英国伝説の英雄の名をとってロビンフッド税ともいう。 
たとえばEU (欧州連合)でいま検討されている案では、金融取引に0.005%課税することで、570億ユーロ(6兆円)の税収を見込んでいる。日本でも導入されれば円の売買に課税するだけで数千億円から数兆円の財源が生まれると試算されている。
投機を抑制して為替の安定を図るとしてノーベル賞受賞者トービン教授が提唱したので、トービン税ともいわれる。40年近くたつが、金融界や米英が強く警戒。「各国が一斉に導入しなければ意味がない」などの主張で、政府レベルの議論になかなかならなかった。
それが3年前のリーマンショック後の金融危機で変わった。「金融投機を抑えて貧者の救済に」の声が各国の主要世論となった。スティグリッツやサックスといった米国の著名学者が毎年、署名を集めて主要国に書簡を送り、導入を訴えている。今年4月には、それが50カ国1000人のエコノミストに拡大した。ローマ法王やビル・ゲーツも熱心に導入を訴えている。
世界中に広がった反貧困・格差デモでも共通の要求となっている。11月末には、世界で導入を求める一斉行動がおこなわれた。
金融不安が深まる欧州では導入論が強まっている。ブリュッセルで12月初め開かれたEU首脳会議は、財政規律の強化とともに金融取引税の導入を含むユーロ安定化で合意した。EUではすでに内閣にあたる欧州委員会が、2014年からの導入を決めている。9月に欧州議会で説明したバローズ委員長は「今度は金融界が社会に貢献する時だ」と強調した。
先月カンヌでのG20(主要20カ国首脳会議)でも焦点となった。議長のサルコジ大統領が個別会談で熱心に導入をといた。ブラジルやアルゼンチンが賛成を表明。その結果、最終宣言と首脳会議のコミュニケの両方に、「金融取引に課税する仕組み」の検討が盛り込まれた。サルコジ大統領は、国際会議の公式文書に金融取引税が初めて盛り込まれたことを最大の成果と強調した。
そのG20の場で、野田首相は消費税増税の決意表明をした。国際的な流れとは逆の対照的な表明だった。日本の大マスコミはなぜか、こうした動向をわずかしか報じない。消費税の増税しか目にはいらないからなのか。(田中靖宏)

命がけで「税と社会保障」を言うなら、大いにこういう事を真似て欲しい。