2012年11月12日月曜日

筆記体


以前にも紹介したが、「脳を創る読書」の中で著者は(電子化の波にただ流されないために)として以下のように言っている。
明らかな退行現象をこのまま進めてよいか
子どもの頃から携帯電話やコンピュータで活字を打てるようにするのもいいが、それは書字を覚える前にすべきことではない。初等教育において、文字を書くことはすべてに優先する基本なのだ。特に仮名や漢字の書字はタイピングと全く異なる運動機能であり、タイピングができても字が書けるようにはならないのである。筆順も大切であり、他人が読めないような文字しか書けず、書くスピードも遅ければ、ちょっとしたメモもとれないだろう。文字を書くことを面倒くさがるようでは、書字の先に積み上げられていくであろう知的作業のすべてが雑になってしまう恐れがある。
携帯メールでおなじみの「入力予測変換」では、最初の数文字を入力しただけで言葉の候補がどんどん出てくる。履歴や確率的な判断で出てくる言葉の候補から文脈や全体の意味を考えずに受動的に選んでいけば、一応文章らしきものは打てるだろう。しかし、それはもはや人間の言語とは言えないものなのである。日本語入力には必須の「かな漢字変換」もまた、思考とは直接関係ないプロセスだから、思考の中断を生み、集中力を減退させるという負の効果もある。文字を書くほうがはるかに自然な表現方法なのだ。
文字を書くとか、筆跡を大事にするとか、絵を描くといった一つ一つの基礎的で創造的な作業は、他の安易な方法に置き換えることはできないのだ。子どものうちにやらなければ、取り返しのつかないことになるだろう。今の中学校では、アルファベット(ローマ字)の筆記体を教えなくなってしまった。これはあまり目立たないかもしれないが、明らかな退行現象なのだ。日本語の筆記では、速く書くと自然と楷書体から行書体や草書体へと移行して続け書きとなる。これはアルファベットでも全く同じであり、筆記体で書くことは自然な筆記能力なのである。それに、チョークを黒板に打ち付けながらブロック体で書く音は耳障りでもある。小学校で英語をやるなら、筆記体を教えるところから始めてほしいものである。
私の中学時代の英語の時間は、筆記体を書く練習をしたものだ。筆記体をうまく書くために、万年筆は「パーカー」を購入した。筆記体を書くにはペン先が引っかからない万年筆が書きやすい。パーカーは英語には向いていたが、日本語には向いていなかった。日本語には「セーラー万年筆」を使った。日本にはもう1社「パイロット」がある。

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