2012年11月9日金曜日

男と女


毎日新聞で月1回の連載をしている、僧侶の川村妙慶(かわむらみょうけい)氏(女性)の随筆「泥の中で咲(わら)う」は肩の凝らない面白い。以下、紹介。
法話の時には、必ずホワイトボードにお経の言葉を書くことにしています。文字が持つ温かみを、視覚から伝えるのが狙いです。
漢字には「男と女」にかかわるものもありますね。数は半々でよさそうですが、実際はそうなっていません。圧倒的に多いのは「女」が部首についた字。男という字を使う漢字で思い浮かぶのが、「勇」や「虜」くらいなのに対し、女偏で辞書を引くと、「嫁」「姑」「好」「妄」など平均300字ほどもありました。
仏教用語でも「妙」「一如」「嫉妬」「機嫌」「娑婆」などがあります。「嫉妬」は2字とも女偏ですから失礼な話ですね(笑い)
これらの漢字を考えたのは、長く社会の中心となってきた男性です。ということは、男性から見た女性像が漢字として表現されたのでしょう。例えば「好」という字。相手への親しみを表すために「女の子」と書く。これはまさに男性の目線です。
そして「婚」。結婚は女性だけの問題ではありません。そもそも「婚」という字は女の昏(たそがれ)と書きます。昔の結婚式はたそがれ時、つまり夕暮れに行われていたそうです。沈む夕日の中にたたずむ、花嫁の美しい姿に感激した男性の気持ちが「婚」という字になったのですね。
「女」の部首を使う漢字には、女性を見たときに男性に起こる感情や、社会における女性の役割を示すような意味合いが多いことがわかります。
さて、国際通貨基金(IMF)専務理事のラガルドさん(女性)が先日、日本で開かれたセミナーで「女性が日本を救う」と話し、女性が労働に参加する重要性を訴えました。
これは、女性が男性の中に割りこんで対抗するのではなく、男女ともにこの社会を支えていけたらということではないでしょうか。
どちらか一方が頑張るものでも、張り合うことでもありません。「お互いの存在を尊敬しあえる関係」が世の中を良くしていけるのではないでしょうか。
私の法名は妙慶。妙は「女が少ない」と書きますが、右から読めば「少女」。いつも新鮮な気持ちで生きていきたいものです。
男と女の、社会の中での関係が、漢字の部首にまで反映しているとは面白い。

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