2014年2月14日金曜日

引用句


福永武彦の「幼年」という本を読んだ。おそらく福永武彦という名前を知っている人は少ないと思う。彼の息子が池澤夏樹という小説家である。池澤氏の「叡智の断片」という本を読む。いろんな分野からの「引用句」を紹介している。面白い話をひとつ。
政治家たちよ!
先日、政治家のウィットのお手本のような例に出会って感心したーー
「ミッテランには百人の愛人がいる。その中の一人がエイズなのだが、それがどの女か彼は知らない。ブッシュには百人のボディガードが付いている。その一人は実はテロリストだが、それが誰か彼にはわからない。そして私には百人の経済顧問が付いていて、その一人は優秀なはずだが、それが誰だかが私にはわからないんだ」
こう言ったのはゴルバチョフ。
うまいなと思ったのには理由がある。まず三つの国の大統領を並べて、それぞれの国民の性格を伝えていること。フランス人は色恋に目がないし、アメリカは暴力的な国だし、ソ連の経済は深刻な事態にあった。それを「百人の・・・・」でくくって、しかも結局のところこれはエレガントな詠嘆なのだ。
あまりよくできているので誰かの創作かと思ったが、間違いなくゴルバチョフの発言。一九八八年二月二十五日に『ニューヨーク・タイムズ』に載ったものだった。もしかしたら彼には百人のスピーチ・ライターが付いていて、百人とも優秀だったのかもしれない。 
ぼくがこの名言に出会ったのはある「引用句辞典」の中でのこと。この種の書物が手元に数点あって、読み始めるとやめられない。発言者の人名とテーマの両方から引けるようになっているのが普通で、ゴルバチョフの言葉は「知識(ないし知ること)」というテーマに入っていた。
日本人は著名人の発言や小話の類を引用しない。なぜかと考えてみた。引用というのは自分の意見を飾るために叡智の断片を借りることだから、意見を言わない国では使い道がない。日本人は好みは言っても意見は言わない。異を唱えると角が立つから、議論は避ける。なるべくなめらかに、他人と正面からぶつからないようにして生きる。
選挙の立候補者というのは最も意見言わなければいけない立場なのに、ひたすら「お願いします」しか言わない。政策ではなく人格を売り込んでいるみたい。
今の日本には、覚えていて引用するに値する発言が少ない。最近、政治家が言ったことで感心したことがあっただろうか? 失言はしても発言はしないのが日本の政治家。小話にもならない。
フランスを例に取れば、こういう発言があるーー「フランス人は危機が迫らないかぎり団結しない。二百四十六種類のチーズがある国がそんなに簡単にまとまるはずがない」
こう言った人はシャルル・ド・ゴール。つまり普段はそれほどてんでんバラバラ、みんなが勝手なことを言っていりということだ。ぼくは今フランスに住んでいるから、これはなかなか実感がある。
まったく同じことを、ある韓国の人が別の言い回しで言っているーー「例えばわれわれが『団結は生、分裂は死』と言えば、フランス人はただちに『団緒は死、分裂こそ生』と応酬するだろう」
ここでわれわれというのは韓国人のこと。これは洪世和の『セーヌは左右を分かち、漢江は南北を隔てる』という本の中にあった。彼は政治亡命をしてずっとパリこうこつかんでタクシーの運転手をしながら祖国批判をしてきた硬骨漢で、今は韓国に帰っている。
難しい文章で説明をするより、「引用句」で説明するほうが、納得できることが多い。気の利いた引用をするためにも、古今東西の本からの知識がないとだめだ。日本の政治家に引用句がないのは、おそらく、ほとんど本を読んでいないからであろう。

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