2014年12月16日火曜日

相補性


 福岡伸一 芸術と科学のあいだ
 なくしたピースの請求法に感心
 私の学生時代の知人にジグソーパズルの愛好者がいた。大判のパズルをーそれはたぶん数百とか数千ものピースからなっていたと思われるがー飽きもせず長い時間をかけて完成させる。彼の言い分がふるっていた。「あと一個、というところまで作っておいて、最後のピースは彼女に入れさせてあげるんだ」。当時の彼に、彼女がほんとうにいたとしても、彼女はそのプレゼントをどれほど喜んだことだろう。今となってはよくわからない。
 ところで、こんなジグソーパズルのフアンにとって困ったことが起こりうる。一生懸命作り上げたパズル、いよいよ完成という段になって、ピースがひとつ足りない。そもそもピースは小さい。どんな隙間にでも入り込みうる。部屋中を必死に探しまわってもどうしても見つからない・・・このような悪夢のような事態は実際、しばしば発生することのようだ。
その証拠に、ジーグソーパズルメーカー、やのまん(東京・台東)のホームペー
ジにこんなサービスの告知を見つけた。
「弊社では無料で紛失したピースを提供させて頂いております」
でも、いったいどのようにして無くなってしまったものを相手に知らせることができるのか。次の一文がふるっている。「請求ピースのまわりを囲む8つのピースをはずして、崩れないようラップ等でくるむ」(ラップ等で、というところがまたいい)私はこれを読んで心底感心した。生物学の根幹を統べる原理がここにあますところなく表現されている。生命を構成る要素は単独で存在しているのではない。それを取り囲む要素との関係性の中で初めて存在しうる。状況が存在を規定する。自分の中に自分はいない。自分の外で自分が決まる。相補性である。ラップに包まれた8つのピースの中央におさまった真新しいピースがそっと返送されてきたら・・このときこそ彼女はほんとうの至福を感じるだろう。
 
  私の娘も、小さい時、「ジグソーパズル」が好きで根気よく仕上げていた。今も居間に何個か飾ってある。よく、こんなものを仕上げる事ができるなと感心したものだ。ある時、作成途中の物を足で引っ掛けてばらばらにしてしまった。その時は、泣いて抗議をされた。
 
 
 
 

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