2014年12月2日火曜日

論語


「論語」とは、今から約2500年も前の、中国の思想書である。孔子とその弟子たちの語録である。今回「全訳 論語」山田史生著を読む。その中の一遍を紹介する。
孔子日く、君子に侍するに三愆有り。言未だ之に及ばずして言う、之を操と謂う。言之に及びて言わざる、之を穏と謂う。末だ顔色を見ずして言う、之を瞽と謂う。
目上のひとに接するとき、やってはならない落ち度が三つある。語るべきじゃないのに語る。これは軽率。語るべきなのに語らない。これは陰険。相手の気持ちをおもんばからずに語る。これは無神経。
「語るべきじゃないのに語る」とは、相手がいまそれをしゃべろうとしているつてことを察していながら、ひょいと先回りしてしゃべってしまうこと。しゃべりたいという自分の都合で軽はずみにしゃべると、相手がしゃべろうとする出鼻をくじくことになる。こういう自己顕示欲の旺盛なタイプは嫌われる。
「語るべきなのに語らない」とは、訊かれてもムッツリとだまったまま自分からはしゃべろうとしないこと。口下手なのではない。しゃべったほうが相手のためによいと承知していながら、伏せておくほうが得策だとおもったら、腹黒くだまっているのである。こういうズル賢いタイプは、しばしば謙虚な人柄に見えたりするから、よけい腹が立つ。
「相手の気持ちをおもんばからすに語る」とは、相手の気持ちを掛酌せず、その場の雰囲気にも頓着せず、しゃべり放題にしゃべりまくること。まわりの状況が見えていないのである。オッチョコチョイではあるが、まだ罪は軽いとおもう(自分がそうだからだろうか)。語るべきじゃないのに語るのは、節義に反する。語るべきなのに語らないのは、信義に反する。そういう当為とおかまいなしに語りまくるのは、たんなるバカである。
紀元前の論語の中身はそのまま現代にも通じる。「相手の気持ちをおもんばからずに語る」とは、どこかの政治家のことではと思ってしまう。

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