2015年1月6日火曜日

暴力と差別としての米軍基地


「暴力と差別としての米軍基地」(林博史著)を読む。本の「はじめに」の文章が印象的である。一部紹介する。
この間、尖閤列島が中国との間で深刻な領土問題となっている。これについて「琉球新報」201295)の「論壇」に掲載された上原快佐さんの主張を紹介しよう。
「固有の領土」という言葉は欺瞞に満ちている。なぜなら「固有の領土」であるはずの尖闇諸島を含む先島諸島は、歴史上何度も領有が変わっているからだ。先島諸島分島案の妥結、戦後の米軍統治等々だ。歴史上何度も都合の良い「モノ」のように扱われた島々を、なぜ「固有の領土」と呼べるのであろうか。
「固有の領土」である尖閣諸島で愛国心あふれる政治家や活動家が、香港の活動家に対抗して勇ましく日の丸を振り日本の領有を主張している。しかし私の目には彼らの言動は非常に利己的で滑稽に映る。
すぐ近くの沖縄県には60年以上も他国の軍隊に強奪され占領されている土地があり、傍若無人な振る舞いで多くの地域住民が苦しめられて続けている。また辺野古新基地・オスプレイの配備等々でさらに危険を押し付けられようとしている。
勇ましく無人島で旗を振り領有を主張するのならば、膨大な基地被害を被っている沖縄のために、嘉手納基地や普天間基地の滑走路で旗を振り領有を主張してもらいたいものである。虚栄心や海底資源のほうが沖縄県民の生命財産よりも大事なのだろう。
彼らのメンタリティーは分島案を進めた日清両政府へ自国民であるはずの沖縄県民を戦争で「捨て石」にし、戦後はあっさりと他国の軍政下に置いた日本政府と全く変わらない身勝手なものであると言える。「固有の領土」を主張する仮面の下には、琉球・先島諸島は「モノ」であるというメンタリティーが潜んでいる。
一見勇ましく正当性があるかのように思える主張に扇動されて、周辺漁民共有の「美しい平和な海」を「醜い危険な海」にしてはならない。このような状況だからこそ、沖縄は一丸となり「万国津梁の鐘」を打ち鳴らし平和を訴えてゆくべきだ。
尖閣諸島の問題を考えるときに、日本による琉球侵略と併合、その後の差別の歴史を考えなければならない。昨年末の知事選結果をみても、粛々と基地を造っていくという政府は沖縄県民を愚弄しているというより、人間を愚弄していると言うべきであろう。

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