2015年1月16日金曜日

復興<災害>


岩波文庫「復興<災害>」塩崎賢明著を読む。その中で孤独死という概念の記述が印象深い。以下、紹介する。
「孤独死」という概念の誕生
「孤独死」とは誰にも看取られず、一人寂しく世を去ることである。孤立死ともいうが、筆者は孤独死という言葉の方が、実態をよく表していると思う。
神戸市にあるみどり病院の院長だった額田勲医師(故人)は孤独死について克明なレポートをもとに、深い洞察を行なっている。警察当局は犯罪に由来しない孤独死体(変死体)を、自殺か病死に区別する。通常マスコミなどではこれを孤独死としている。額田によれば、孤独死とは、①低所得、②慢性疾患、③社会的孤立、④劣悪住環境という四条件のもとに、病死・自死にいたることである。
「“孤独死” とは単なる「独居死」ではない。貧困の極みにある1人暮らしの慢性疾患躍病者(アルコール依存症も含めて)が、病苦によって就業不能に追いやられ、次いで失職により生活崩壊という悪性の生活サイクルに陥り、最終的には持病の悪化、もしくは新たな疾病の合併が引き金となって、死に追いやられるケースがあまりにも多い。その証拠にはほとんどの孤独死が異常死体(変死)として、死後、監察医の検死の対象となっており、そのことは死に至るほどの重症の患者が医療機関の系統的な日常管理から離脱していることを意味している。
このように肝心の医療も含め周囲から疎外されて死に至っていく事実こそ、大災害の被災地の医療を考える上で看過しえない問題だと思われる」(横田勲”孤独死“岩波現代文庫、2013年)
つまり孤独死とは、たまたま死の間際に、そばに誰もいなかったといった単純な事柄ではなく、「社会的に孤立した果ての死」であり、決して恵まれた人生の終わり方ではなく、望まない無念の死なのである。
阪神・淡路大震災の仮設住宅と復興公営住宅における孤独死は、201312月現在1057人となっている。実際はこれを上回ると言う。どうせ死ぬ時は誰でも孤独だという言説とは全く概念が違う。

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