2015年5月13日水曜日

きけわだつみのこえ


日経のエッセイ「半歩遅れの読書術」に、今回は詩人の道浦母都子氏の「戦没学生の無念・処刑を前に明日をしのぶ」と言うエッセイが掲載されている。長いが全文を紹介する。
昔もなく 我より去りし ものなれど 書きて偲びぬ 明日という字を 木村久夫
忘れがたい一首といわれると、つい、この歌が浮かんでくる。
『きけわだつみのこえー日本戦没学生の手記』(現在は岩波文庫など)を手にしたのは、高校時代。図書館で見つけ、家に持ち帰り、一気に読んだ。当初、「日本戦没学生」という言葉の意味がよくわからなかったが、読み進むうちに、「学徒兵」と呼ばれる勉学途中で戦場に赴き、生命を失った人たちのことだと理解できた。
学生の立場なのに戦場にいかなければならなくなり、ついには死に至った人たち。その心情を細かく描いた一人が、先述の木村久夫氏である。
彼は大阪府出身、昭和十七年四月に京都大学経済学部に入学。その年の十月に入営。戦争終了後、シンガポール・チャンギー刑務所で、戦犯として刑死。二十八歳での死である。
先の一首は、処刑を前にしての思いを託しての歌であり、当時の彼の心境を如実に物語るものでもある。
木村氏の遺書は、死の数日前、偶然、手に入れた田辺元著『哲学通論』の余白に記されたもので、「日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである」「私は死刑を宣告せられた。誰がこれを予測したであろう。」年齢三十に至らず、かつ、学半ばにしてこの世を去る運命を誰が予知し得たであろう」「私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である」
日本の敗戦、それに伴って、自らの身にふりかかった戦犯という格印。学問半ばで死んでいかねばならない悔しさ。自分は本当に死ななければならない罪を犯したのか。
揺れる心情が細かく記され、処刑前には、「私の命日は昭和二十一年五月二十三日なり」と記しているが、別のところでは命日は誕生の日にしてはしいとの記述も残されてある。  
生き続けたい。だが、死んでいかねばならない自分。それを見据え、「明日」という字を書いて偲ぶ作者。彼の来し万を重ねながら読むと、自然と熱いものが、こみあげてくる。
たまたま、彼の生家が、私の住む大阪・吹田市内であったことから、私は彼の墓を探しあて、墓詣もした。
近年、戦犯とされた彼の死を深く掘り下げた加古陽治編著『真実の「わだつみ」』(東京新聞)、木村氏の上官だった鷲見豊三郎氏による『或る傍観者の記録』()が刊行され、彼にあらたな光が投げかけられている。
「学徒兵」、学業半ばでの戦場への出兵。それを余儀なくされた当時の学生たち。今の若者は、そうした事実をどのように、受けとめるのだろう。(歌人)
わずか70年前の学生の姿である。あらためて「きけ わだつみのこえ」を読んでみたい。

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