2011年6月27日月曜日

立ち止まって考えよう

たびたび、北川達夫氏の「対話力入門」からの引用をだすが、なぜかと言うと、やはり最近のテレビの討論会をみていても、いろんな政治家や知識人と言われる人々を集めてやられているが、大部分の人が、人の意見を聞かないで自分の意見をやたらと披露することが多いからである。ひどい人になると、他の人が発言中に遮ってしまって、自分の意見をひけらかすのだ。こういう時は司会者がうまく進行役をしてくれればいいのだが、中には司会者がやたらと自分の意見を述べまくる場合もある。
こんな討論会や、テレビショーはみないことだ。
 以下、抜粋
コミュニケーションで、いちばん大切なことは何ですかこのように問われたら、私は迷わず「相手の話をよく聴くこと」と答える。その最も単純な理由は「相手の話を聴かなければ、自分の話も聴いてもらえないから」。他人の話を聴かないような人間の主張など、誰が聴くものか。感情的な要因に加え「この人に何を言ってもムダだ」という諦念も働くため、まともなコミュニケーションが成立しなくなってしまうのだ。これは対話以前の問題である。だが、「議論が得意だ」「国際的に活躍している」と自称する人に限って、他人の話を聴かないという、不思議な傾向が見られる。きっと自分が一方的にまくしたてることによって、議論や国際社会を乗り切ってきたのだろう。そして、どこでも、まともなコミュニケーションを成立させることができないまま、孤独と無聊をかこっていたに違いない。一方的にまくしたてる人間は、少なくとも私の知るかぎり、世界中のどこへ行っても通用しないはずだ。相手の話を聴くといっても、単に黙って拝聴すればよいというものではない。理解できないところは理解できるまで質問し、納得できないところは納得できるまで質問して、初めて「聴いた」といえる。こうすることで、自分と相手との間に「理解」と「納得」を構築することができる。これは対話の基本技能だ。さまつな質問を乱発して嫌がらせをする人もいるが、本当に理解と納得を求めているかどうかは、相手にも、そして周囲の人々にもわかるものだ。
無聊(ぶりょう):たいくつなこと。
議論は、相手の話をしっかり聞くことから始まる。

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