2011年11月9日水曜日

ウォール街占拠運動

 東洋経済に連載している、藤原帰一氏(国際政治学者)がウォール街占拠運動について興味ある見解を述べている。

ウォール街そばの公園で開始された活動は10月に入ると全米各都市からロンドン、ローマ、シドニー、東京などへと波及し、オークランドなどでは警察の介入と逮捕者までも生み出した。米国東部降雪のために人数拡大が難しくなったとはいえ、雪の中でも公園を占拠する人々の姿が伝えられている。この占拠運動をどう考えればよいのだろう。
占拠運動で注目を集めたのは、何よりもその運動のスタイルである。既成政党や政治家に働きかけるのではなく、ウォール街を占領する。とはいっても、金融機関に襲いかかるのではなく、公園にテントを張って居座るだけだから、実力行使とは程遠い。不公正な富を蓄えたウォール街で持続的なアピールを続けるという、シンボリックな意味が勝った行動であると評すべきだろう。
そして、フェイスブックやツイッターなど、新しいメディアが活躍した。ツイッターでウォール街占拠が次々に伝えられていた9月、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどでこの活動が伝えられることはほとんどなかった。ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E・スティグリッツや投資家のウォーレン・バフェット、告発型ドキュメンタリーで知られるマイケル・ムーアなどがこの活動に加わることで、まず米国外の報道機関が大きく取り上げ始め、10月に入ると米国の新聞やテレビも大々的に報道を始める。新しいメディアが社会連帯を作り、それが「事件」を作り出すわけだ。
彼らは何を訴えているのか。運動の掲げる争点は一つ、人口の1%に富が集中する状況に対抗して、残りの99%から異議を申し立てるというものである。統計の取り方に多少の異論があるとしても、レーガン大統領が就任してからおよそ30年の間、高額所得者が所得を伸ばす一方で、ほかの階層の所得が減少したことに異議のある学者は少ないだろう。
その結果、中間層が経済的繁栄を支えるかっての米国は失われ、これまでにない所得格差が広がってしまった。この格差への告発が占拠運動の中核にあるといってよい。より具体的に見れば、占拠運動の背後には、リーマン・ブラザーズの破綻に発した08年世界金融危機以後の経済情勢への不満がある。膨大な公的資金が注入されることによって金融機関は救済されたが、米国経済の混乱は続き、失業率も9%に上ってしまった。投資会社を救済するためには税金を使うのに、失業が放置されるのはどうしてなのか。99%からの異議申し立てには説得力があるといえる。
だが占拠運動には、異議申し立てはあっても政策はない。金融機関を救済する政策の転換を求めたり、失業対策のための政策を訴えるのではなく、1%が富を独占する現状への告発が運動の中核にある。現状への告発に支えられたこの運動は、具体的な政策要求を伴っていない。
ソーシャルメディアを媒介とする市民の結集という点だけを見れば、この占拠運動にはチュニジアやエジプトに民主化をもたらした「アラブの春」と似た面がある。だが、「アラブの春」には独裁者退陣の要求という明確な目的があった。ところが占拠運動の場合、これが実現されたら勝利だという勝利条件が示されていない。政策の実現を争点にしないのであれば、占拠運動が「勝利」を収めることはできないだろう。
運動は迷惑行為として衰退?厳しくいえば、公園の占拠はただの迷惑行為、それも金持ちだけではなく一般市民にとっても迷惑行為にすぎない。運動の決着点が見えないかぎり、世界各地の占拠運動は、それが長続きすればするほど、逆にその地域に居住する人々の支持を保つことが難しくなる。
世界各地に同時発生した運動は、膨大な数の人々による異議申し立てに成功したにもかかわらず、現実の社会変革をもたらすことなく衰えてゆくのではないか。占拠運動の現状は、そのような暗い展望を予感させる。
どれほど既得権に冒され、 一般市民から乖離したとはいっても、既成政党や政治結社は、社会と政治を結び付けるうえでなお大きな役割を果たしている。確かに、既成の政治が吸い上げていない社会的な不満の大きさを示す点において、占拠運動は大きな役割を果たした。だが、異議申し立てだけでは変革は訪れない。

確かに、「アラブの春」においても、独裁者を倒すまではいいが、それがすぐに民主化に繋がらない。物事を着実に変化させるためには、しっかりとした政治結社(政党)が必須である。政治結社であっても、独裁では駄目である。地域政党大阪維新の会は決して長続きはしないであろう。


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