2011年11月28日月曜日

現代型うつ

 NHKのクローズアップ現代で「現代型のうつにどうむきあうか」という番組が放映された。
今、これまでの概念では捉えきれない「うつ病」が増加していると言う。不眠に悩む、職場で激しく落ち込むといった「うつ」の症状を示す一方で、自分を責めるのではなく上司のせいにする、休職中にも関わらず旅行には出かける…。いわゆる”現代型うつ”だ。2030代の若者を中心に増え続けているとされている。従来の治療法が効きにくいことから医療現場は混乱している。さらに企業では休職者が増え、経営を圧迫。中には「怠け」と判断し、解雇したところ裁判で訴えられるケースも出ていると言う。
その番組が頭から離れなかったので、本屋に行って「鬱の力」(五木寛之、香山リカ)と言う本を購入した。以下一部を紹介する。
香山 さきほども言いましたが、統合失調症が減ってきた反面、いまは日常生活に、軽度の被害妄想が忍び込んでいます。食べ物に対する過敏症にも、妄想が混じっている場合が多い。ネットで個人情報が盗まれたり、自分の噂がネットで勝手に語られていると思い込むのは、昔だったら、完全に被害妄想の症状です。こういう感覚を万人が持っているとしたら、統合失調症として診断される例は減ったけど、むしろ薄まって広がっているのかもしれません。
五木 統合失調症は、本来、想像力の過剰から生まれてくるものでしょう。ということは、想像力が劣化してきているわけですね。
香山 ええ、そうだと思います。統合失調症は、異文化同士の境界で起きる病気といわれていますが、いまは正常と異常のあいだに節目がなくなっている。異質な者同士がぶつかり合うところがなくなっているから、統合失調症もなくなっているのかもしれない。
うつ病の患者さんの話は、ある意味、了解可能なものばかりで、それほど面白くないんですよ。面白いなんて言ってはいけないのかもしれないけど、精神科医的好奇心からは、やはり「私は実はヒットラーの生まれ変わりなんですよ」とか、「先生、宇宙の法則を教えてあげましょう」なんていう話を聞いてみたい。でも、そういう誇大妄想的な、震撼させられるような話を聞くことが少なくなっていますね。
五木 それはたぶん、患者さん自身にとっても、大きなショックを受ける機会が少ないからですよ。誰でもちょっと気分が鬱になるぐらいは、当たり前に起こりうるけど。それに対して「うつ病」というのは重症の病気でしょう。
香山 私もこのごろ、自分が精神科医として治療をするなかで、「うつ病」と「鬱っぽい感じ」の境界をはっきりさせなきゃいけないと思っているんです。それで、クリニックに来る人に「あなたの場合は、うつ病と捉えなくても結構です。こういう悲しい出来事があったら、しばらく落ち込むのは当然ですから、時間が経てばちゃんと回復できますよ」って話すと、多くの方はそれで安心するんじゃなくて、逆に「じゃあ、私のこの気分は、いったいなんなんですか」って、とても不安になるんですよ。
五木 むしろうつ病だと言われたほうが楽なんだな。
香山 たぶん病気によって、自分の輪郭やアイデンティティを与えてほしいんでしょうね。『その痛みは「うつ病」かもしれません』(大塚明彦著)という本が出ています。体のあちこちが痛い人が、内科とかリウマチの検査とか、体を診る科に行っても、正常だと言われてしまう。「痛いんです」「いや、正常です」「本当に痛いんです」という繰り返しに疲れ果てたなかで、「実はあなたはうつ病でした」と言われると、本人も納得してしまうんだと思うんです。
五木 あなたはうつ病なので、それを治療すれば治ります、と言われると安心する、という心理はよくわかります。得体の知れないもやもやが不気味なので、原因をはっきりさせたいんですよ。まさに心療内科の領域ですね。
香山 そうでしょうね.それに、ただの「鬱気分です」って言われてしまったら、あとは自分の考え方とか生き方とかに直面して、自分で取り組まなければいけない課題になってしまう。でも「うつ病」ということになれば、病人なんだから「お任せします」と言えば済む。受け身の立場で手当てされたい、ケアされたい、流行り言葉で言えば「癒されたい」っていうこともあると思うんです。

たしかに、うつ病と鬱は区別して考えた方がいいと感じた。鬱を辞書で引くと、「暗い気持ちになる。気がふさぐ」と書いてある。鬱がない人はない。「うつ病」とは違うのである。他人に癒されたい、慰めて欲しい人が増えているような気がする。



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