2011年11月2日水曜日

増税論

民主党のブレーンとしていろんなところで発言してきた、北海道大学大学院教授の山口二郎氏が「東洋経済」の中で、以下のようなことを言っている。概略を紹介しよう。
ゴール不在の増税論は逆再分配を強めるだけだ
党内融和を優先し、低姿勢で出発した野田佳彦政権だが、そうした内向きの論理だけでは政権がもたない。ここに来て、重要な政策課題について舵を切る姿勢を見せ始めた。政策路線を選択することは政治指導者の使命である。国内世論で賛否が分かれるような争点について腹をくくって決断するということ自体は、必要なことだと考える。その際、目指す目標、理念を明確にして、政策に伴う犠牲と得られる恩恵を具体的に示し、国民を説得するという態度を取るべきである。その点で、野田政権の展開には大きな不安を感じる。
目下の最大の争点TPP (環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題である。TPP積極論を開いていると、私は郵政民営化論議を思い出す。市場原理を拡大することによって日本社会が活気を取り戻し、国民が幸せになるという単純な議論を繰り返してはならない。
輸出産業の経営者が、バスに乗り遅れるなということでTPPへの参加を主張することは当然である。他方、農業団体がこれに反対するのも当然である。経営規模拡大によって日本農業が世界市場で競争力を持つなどという空論は、日本最大の経営規模を持つ北海道の農民でさえ信じていない。
政治とは、この種の利害対立の中で極力折り合いをつけながら一つの方針を決定する作業である。あえて火中の粟を拾うという野田首相の意志は評価したい。しかし、決め方を誤っては禍根を残す。仮にTPP参加を決断したいなら、バラ色のシナリオで粉飾してはならない。また、どちらかの主張が正しいから選ぶのでもない。TPPが毒を含んだ政策であっても、国益のためにこれを選択するという苦渋の判断であることを、国民に丁寧に説明しなければならない。
税・社会保障一体改革についても、野田政権の誠実さが問われる。各種世論調査が示すように、国民は、社会保障の持続可能性や東日本大震災の復興財源のことを考えて、いずれ増税は不可避だと思っている。しかし、復興のための国債を短期間で償還するとか、2-3年後に消費税率を10%に引き上げるという話には、納得していない。野田首相は財務官僚の操り人形というストーリーが一部のメディアに流れ、これを支持する人も大勢いる。要するに、国民は財務官僚を信用していないのである。復興財源のための増税にしても、大震災を隠れみのに、国民に増税を受容させる予行演習という性格があるように思える。
財政の機能として、公共財の提供、所得再分配、景気調整の三つがあるという規定は、高校の政治経済でも習う基本である。では、日本の財政はこれらの役割を果たしているのか。日本の税収は1990年をピークとして、20年間減少の一途である。この間、GDPはほぼ横ばいであるのに税収が減少しているということは、減税をした結果である。
減税の恩恵は、所得税の累進制の緩和や法人税減税という形で、富裕層や大企業に与えられた。他方、国民負担のうち社会保険料は増加の一途をたどっている。2010年、国民負担の対GDP比率は276%であり、税負担が152%'社会保険料負担が124%である。社会保険料は、国民年金保険料を思い浮かべればわかるように、逆進性が強い。したがって、日本の財政は再分配機能を著しく弱めている。東京大学社会科学研究所の大沢真理教授の調査によれば、所得再分配どころか、日本では当初所得よりも再分配後の所得のほうが、格差が大きい。つまり、政府はわざわざ税と社会保険料を徴収し、貧困層から富裕層へ逆の再分配をしているのである。
このような財政に対する現状認識を国民と共有することなしに、一切の増税論議をしてはならない。財務省の描く消費税率引き上げが、逆再分配を強める「やらずぶったくり」につながるのではないかという国民の懸念には十分理由がある。私自身は、新自由主義を批判し、福祉国家の拡充を訴えてきたので、基本的には増税論者である。しかし、国民負担の増加によってどのような社会を作るのかという理念論を欠いた増税論議には、反対せざるをえない。ゴール不在の増税論がまかり通れば、その反作用として河村たかし名古屋市長が唱えるような減税ポピュリズムがはびこり、結果として政府の役割は一層縮小、社会はますます荒廃する。だからこそ、増税論議を財務官僚に任せるわけにはいかない。

民主党のブレーンの山口氏でさえ、野田政権の危うさを指摘している程、今の民主党政権は、政権交代した時から変質してきている。(もともとの体質の化けの皮が剥がれてきただけだが)赤字で記してあるところは、まさに同感である。
 


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