2011年12月29日木曜日

食の文化 米

物語 食の文化(中公新書)という本を読んでいる。その中で、なるほどと思った部分を紹介したい。
 米の調理
もち米とうるち米 日本に古く渡来したイネはもち種であった。イネにはもち種とうるち種があり、それぞれもち米とうるち米を与える。両者の差はでんぷんの組成にあって、もち米はアミロースを含まずアミロペクチン100%であるが、うるち米は1520%のアミロースを含んでいる(インディカ種では2030%)。もち米は蒸して食べ、うるち米は煮て食べる。古代大陸から渡来した土器の甑(こしき)が米を蒸すのに使われ、蒸したもち米が平安時代まで上層階級の主食であったが、やがてうるち米に替わった。うるち米を煮ると粥になり、水が多いと汁粥、少ないと固粥と呼ばれた。
平安時代半ばに固粥が姫飯(ひめいい)と呼ばれて日常の主食になり、これが今日のご飯になった。現在もち米は蒸寵(せいろ)で蒸し、杵でついて餅にし、正月や物日に食べる風習になった。こしひかりなど現在銘柄米として好まれる米はアミロペクチン含量が比較的高い。
赤米 古代の米はまた赤米であったといわれる。イネは本来赤色や紫色の種実を与えるものが遺伝的に優性で、白色の種実を与えるものは劣性であるが、突然変異で生成した白い米を与えるイネを人々は選別して栽培した。白い米は見た目に美しく、食味もよかったからである。現在わが国では祝い事などにはもち米に小豆の煮汁を使って赤飯を作り、古代を偲ぶ風習がある。

うまい米は「アミロペクチン」が多いという事や、現在、赤飯を祝い事に食べるが、その起源が古代の「赤米」から来ている事を初めて知った。私は餅が大好きだ。この正月は食べすぎに注意しよう。よいお年を!

2011年12月26日月曜日

企業は誰のものか

全国革新懇ニュースに「企業はだれのためにあるのかー現状変える国民の行動を」と言うタイトル品川正治(経済同友会終身幹事)氏が以下のような文章を書いている。この内容を経済同友会終身幹事が言うような、大変な時代になったという事だ。

オリンパスの不正経理、大王製紙前会長のカジノ事件などが起こり、企業のコンプライアンス(法令遵守)が問われています。
その原因として、企業が金融資本化し、企業自身をも商品として売り買いする時代になったことがあります。極端に言えば「何で儲けてもいい」という感覚がある。収益性や効率性だけで序列をつくる流れもあります。かつては、「自分たちは鉄をつくっている」、「自分たちは精密機械をつくっている」という産業の誇りがありました。
今回の背景には、株式や商品の取り引きすべてを市場にゆだねる市場主義、"弱肉強食〃のアメリカ的価値観を世界的に展開するグローバリズムの押しつけがあります。しかし、これはいまアメリカでもEU(欧州連合)でも行き詰まりをみせています。
企業はだれのためにあるのか。何のために経営をするのか。
それは自社利益の最大化のためでもシェアホルダー(株主)のためだけではありません。ステークホルダー(幅広い利害関係者)といわれる従業員や得意先などのためであり、まちや村に役立つためです。
経営者が労働者を雇用するということは、労働力を買うだけでなく、その人が結婚もでき、子どもを産め、生活ができるようにするということです。従業員と力を合わせて最良の商品をつくり、顧客に最大の満足を与えうるような経営のあり方を追求することが求められている。
私が社長を務めた損害保険会社ではかつて、高卒で入った人には授業料を出し大学を卒業できるように支援しました。日本の現状や経済を変えることは不可能ではありません。しかしそれは国民が主権を発動するときです。日本国憲法も60年の安保改定反対闘争を通じて「戦争を人間の目でみる」ようになり、九条の値打ちが広がりました。「いまの政治はまずい」というだけでなく、自分たちの1票はものすごく重いことを自覚し、行動するときだと思います。

出来るならば、品川さん!経済同友会でこんな講演をして欲しい。

2011年12月22日木曜日

新聞報道

以前にも紹介したことがあるが、「民医連医療」で畑田重夫氏が連載している「メディアへの眼」はいい読み物だ。一部紹介する。

メディアへの「眼」   国際政治学者畑田重夫
マスコミの劣化
福島での大集会とパレード
日本のマスメディアが、マスコミ本来のあり方、つまりたえず権力への監視役的・批判的立場に立って報道をするという姿勢から逸脱していることはいまさら言うまでもありません。そのことが事実によって白日のもとにさらされたのが「なくせ!!原発安心して住み続けられる福島を!1030大集会INふくしま」に関するマスメディアの態度でした。
2011311日以後の日本と世界にとって、福島の原発事故が投げかけた問題の重大性については誰しも異存はないはずです。だとすれば、現地福島で開催された「原発ノ」の大集会がもつ意義の大きさを認めることについても同じことが言えると思います。
同集会には、佐藤栄佐久前福島県知事、原発事故の影響で県内外に避難を余儀なくされている馬場浪江町町長、同じく原発事故の影響をうけている菅野飯舘村村長らの参加はもとより、わが国の公党(日本共産党と社民党)の党首の出席やメッセージの送付がありました。ストレートに放射能被害を受けている子どもたちやその母親らの悲痛な叫びもありました。
ところが、翌日の新聞各紙をみてあきれるやら怒りやら、複雑な気持ちをいだかざるをえませんでした。「朝日」「読売」「日経」「産経」などの全国紙は、福島の集会については全く報道しませんでした。ただ「毎日」が社会面でごく小さく一段見出しで報道しただけだったのです。
現地福島の人々も全国47都道府県から1万人超を集めた画期的な大集会とパレードでしたので、マスメディアの報道には強い関心と期待を寄せていたそうですが、地方紙、すなわち「福島民報と「福島民友」が報道しただけ。全国紙は「毎日」が小さく報道しただけで各紙の地方版にさえ全然報道記事がなかったと語っています。これほどはっきりと、マスメディアの実態をみせつけられたのは、筆者の長年の経験からしても珍しいケースであったと思います。これぞまさに「マスコミの劣化」の極致ともいうべき典型例といってよいでしょう。

私は、山梨に来てからずっと、毎日新聞を取っている。最初は1ヶ月ずつ、朝日、読売、毎日を取ってみた。その中から比較的読む記事があったのが毎日新聞であった。現在も取っている。最近は新聞をとる人が少なくなったが、取る場合は比較して取ったほうがいい。

2011年12月20日火曜日

城山 三郎

日経連載の「忘れがたき文士たち」に作家城山三郎が載っていた。城山三郎と言えば、「落日燃ゆ」や「男子の本懐」等で有名な作家である。徹底した取材で定評がある。連載記事の一部を紹介しよう。(文中の私は編集員の浦田憲治氏)

城山自身も潔癖だった。少年時代に軍神杉本五郎中佐の『大義』を読んで愛国少年となり「お国のために尽くそう」と敗戦の3ヶ月前に海軍特別幹部練習生に志願入隊。17歳だった。しかし憧れの帝国海軍は大義の世界とは異なり、腐敗していた。早朝から夜更けまでこん棒で殴られ、悪夢の日々を過ごした。敗戦後、指導者たちはひょう変して民主主義を唱え始めた。
「軍隊で堕落した組織にいじめられ、敗戦でそれまで信じてきた忠君愛国の思想が間違いだったとされ、国家から二重に裏切られた。個人がどんなに頑張ろうとも指導者が方向を間違えば国は滅びる。つらい戦争の体験だけは残しておきたいと思った。指導者に対して厳しい目を向けるようになった」
復員して東京商科大学(現一橋大学)に入学したが、新時代には順応できなかった。禅寺に住み込んだり、YMCA(キリスト教青年会)で洗礼を受けたり、哲学研究会に入部するなど思索の日々が続く。ジョイスなどの文学書を読みふけり、同人誌に詩を発表。山田雄三ゼミに入ってケインズの経済理論の研究に明けくれた。疾風怒涛の日々が城山文学の礎となった。
2006年夏から「私の履歴書」を連載して頂くために、私は仕事場を訪ねるようになった。最後にお会いしたのは亡くなる2カ月前の07111日。「一杯やりませんか」と誘われ、駅ビルの居酒屋にご一緒した。赤ワインを飲みながら語る城山さんは声はかすれていたが、とてもお元気だった。
「私の履歴書」は自身の文学の原点である戦争体験について多くの筆を費やしている。国民が十分な知識を得られないままに無謀な戦争に突入したこと、「水中特攻隊」など信じられないような兵器が編み出され、青年たちを次々と死なせようとしたこと‥。「腹が立つより、悲しくなる」と書いていた。
城山さんが国からの叙勲を拒否し、武装した自衛隊のイラク派遣や個人情報保護法案に反対したのは二度と戦争を引き起こしてはならないという信念からだった。城山さんの小説が長く読まれるのは、こうした潔癖さと、ひたむきな使命感が読者の胸を熱く打つからだろう。

国から叙勲を拒否する人はそんなにはいない。城山氏は国家に対して抜き難い不信があったのだ。

2011年12月13日火曜日

生きていることを粗末にしてはいけない

 以前にも書いたことがある、恩師河合聡先生から、又本が贈られてきた。
「生きていることを粗末にしてはいけない」と言うタイトルである。卒業して36年にもなる教え子を今でも、気にしてくれる恩師とはありがたいものである。
 以下、贈呈文章と、はじめに、のところを紹介したい。

謹呈 山田龍夫さまお元気ですか。エッセー集をまとめてみました。簡単な「妻の思い出」も付け加えました。興味を持たれたところがありましたら拾い読み頂ければうれしいです。日頃のご無沙汰をお詫びしお届けしました。返礼などのお気遣いはなさいませねように。勝手ですが、これをもって新年のご挨拶に代えさせて頂きたくお願い申し上げます。
201112
はじめに
今年もまた秋がやって来ました。自然は人を裏切るようなことはしません。きびしかった残暑の後に朝夕めっきり涼しくなりました。そして今年も秋はもの思いに人を誘う季節です。
思えば無数といういのちがこの世に生まれ消えていきました。そうした中で私は私というたった一つのいのちを授かり生きてきました。私なりに苦労もしましたし辛い思い出もありましたが、それほどずるい生き方はしてこなかったことだけは思い返してもホッとした安らぎを感じさせてくれます。決して上手な生き方だったとはいえませんが、この安らぎは不器用ながら精一杯に生きてきたことへのご褒美のように思います。その幸せを今しみじみと思います。
思い残すことなど今更ないのですが、2000年秋に妻と別れた後、その時その時の思いを気の向くままに綴り、あちこちに寄稿してきたものをまとめてみようかと思ったのがこの冊子です。読み返して筆を加えたくなる箇所も随所にありますが、私の心の軌跡を大切にするのも意味があろうかと敢えてそのままにしました。そして、最後に簡単な「妻弘子の思い出」のⅠ章を加えました。これは辛い作業でしたが、何か一言文字として残したいという私の気持ちがそうさせました。ご容赦くださいますようお願いいたします。
私だけではなくみんな自分の人生を生きています。それも、この広い宇宙の中で後にも先にもたった一度だけの人生です。今を生きる一人ひとりの思いを重ねて、この冊子から何かを感じ取っていただけたらうれしく思います。

私には、この本が私達への遺言に思えてならない。まだ、元気なうちにもう一度会いたいと思った。

2011年12月9日金曜日

迷惑行為

「不都合な相手と話す技術」から、考えさせられる文章があったので、紹介したい。

迷惑行為にどう対処するか
新幹線に乗っていたときのことである。二人席の隣席の男性が楽譜を取り出した。オペラの楽譜のようである。この初老の男性はオペラ歌手なのかもしれない。初めのうちは楽譜をパラパラとめくっていただけだった。ところが、しばらくすると小さな声で・・小さな声だが明らかに「オペラっぽく」歌い始めたのである。
初めのうちは気にならなかったのだが、それが延々と続くうちに不快になってきた。声量自体はたいしたものではない。普通の会話と同程度の声の大きさである。会話であれば気にならない。だが、不思議なことに、歌となると気に障るもので、しかも抑揚をたっぷりとつけて歌われると気になって仕方がない。歌声にばかり気を取られてしまう。注意をそらそうと思っているのに、なぜか注意がそちらに向いてしまうのである。だんだん胃がムカムカとしてきた。このまま何時間も同席していたら、胃に穴が開くかもしれない。私は男性に声をかけた。
「すみません。隣で歌うのをやめてもらえませんか」すると、男性はムッとしたような顔をして答えた。「やめろって、あなたに何の権利があってそんなことを言うんだ?」「いや'特に権利はないと思うので、こうしてお願いしているんです」
男性は一瞬びっくりしたような顔をしたが、渋面をつくって黙りこんでしまった。それから二度と歌うこともなかった・・。
 感情の問題を論理で語らない
この体験について、後に友人・知人に話したところ、その反応は大きく二つに分かれた。
多かったのは「悪いのは相手だけれど、自分だったら何旦苧見ない、何も言わない」といぅ反応である。相手と争うのはイヤだし、相手が否を認めても気まずさが残る。ガマンしたほうがマシというのだ。また、非常識な相手とはかかわりたくないという意見も多かった。そういう相手とかかわれば、ますます不快になるだけだというのである。
その一方で、私の対応を「生ぬるい」と批判する友人・知人もいた。これがもう一つの反応である。「悪いのは相手なのだから、『お願いする』とは生ぬるい。徹底的に糾弾した上でやめさせるべきだ」というのである。理は我にあり。相手の迷惑行為の問題点を客観的かつ論理的に説き、相手を恥じ入らせた上でやめさせろというのである。 
何も言わないか、それとも徹底的に糾弾するか・・・このように発想が大きく異なる場合に「相違から共通を見出す」のが対話の手法である。両者の発想をよく見ると、「悪いのは相手である」という点については共通していることがわかる。そしてこの両者の発想の共通点こそ、私の発想との相違点なのである。私自身は「悪いのは相手である」とは考えていなかったのだ。
相手が歌っていたのは事実である。それを私が不快と感じていたのも事実である。不快さが受忍限度を越えたから、「やめてもらえませんか」と言ったのだ。ただ、不快さというのは私の感情の問題であり、そこには何の理屈も存在しない。相手を論理的に説得するのは無理なので、「お願い」したのである。
迷惑行為をしているのだから、「相手が悪い」のも事実ではないか・・そう思う人もいるだろう。ただ、何が迷惑で、何が悪いかの判断は、個人の価値観や感覚によって大きく異なる。この事例についても「歌ぐらいでゴチャゴチャ言うな」と思う人もいるのではないか。価値観の共有を前提とするなら、厳格な道徳律の下で「みんなが悪いと思うべきこと」が存在するのだろう。だが、価値観の共有を前提としない対話的発想では、あくまでも私個人が迷惑だと感じているだけなのだ。
さまざまな価値観の人々が社会で共生していくには、さまざまな「迷惑」の調整が必要である。迷惑だと感じたら、自分から「迷惑だ」と声を上げないと、いつまでたっても調整は始まらない。
この「わかりあえない時代」において、「自分の迷惑」を「みんなの迷惑」にすりかえ,相手を「悪」と決めつけるほどの勇気は私にはない。また、感情の問題を論理で語るとロクなことはない。感情に突き動かされた論理は、自分を正義とし、相手を不義としがちである。戦争における「敵国の悪魔化」と同じ原理だ。外見は論理的だが、実質は感情的という、実に醜悪な議論になる。
人間は感情からは逃れられない。だからといって、感情的に問題解決を図るのは得策ではない。では、どうするか。私の場合は、感情に突き動かされていることを自覚しつつ、努めて丁重に「お願い」してみたというわけだ。
「こういう場合は車掌さんに言ったほうがいいのでは」という意見もあった。もちろんそれも一案である。もっと大きな問題であれば、そうするしかない場合もあるだろう。社会においても、権力の介入によって調整が図られることは多い。ただ、権力であれ何であれ、他人が受忍限度を決めることにガマンならない人もいることだろう。
人とかかわらなければ問題は解決しない
この事例では「相手とかかわりたくない」という意見が多かった。見知らぬ相手とかかわるのは面倒なもの。対立することが明らかな場合はなおさらだ。だが、相手とかかわらなければ問題は解決しない。
最近、日本の社会全体が人と人とのかかわりを難しくする方向に動いているように感じられる。私の家の近所に「気をつけよう/おとなはこどもに/道聞かない」という標語が掲げられている。おそらく道をたずねるふりをして子どもに近づこうとする不審者が多いからなのだろう。
ただ、この標語は私個人にとっては迷惑である。私は教員研修の仕事で日本各地の小学校を巡っている。初めての土地で、目的の小学校にたどり着くのは意外に難しい。道に迷ったとき、いちばん頼りになるのは、その小学校から下校してくる小学生なのである。ところが、「おとなはこどもに/道聞かない」というのでは、気軽に道を教えてもらうわけにはいかない。不審者と間違えられるではないか。もちろん、不審者の問題も重々承知しているから、標語について「迷惑だからやめてほしい」とお願いすることはないが・・。冗談はさておき、いま伝統的な地域社会の崩壊によって人間関係が希薄になっているうえ、社会の複雑化。多様化・国際化などの要因も重なり、人と人とのかかわりがさらに難しくなっている。その一方で、社会問題が急増しているので'多くの人がかかわり合い協力して問題を解決していかなければならない。それを実現するには多様な「迷惑」の調整が必要であり、そのためには対話的発想が不可欠なのである。

全面的に、著者の北川氏と同じ考えではないが、非常に参考になる考え方である。
「気をつけよう、おとなは子どもに、道きかない」と言う標語があるとは知らなかった。ちょっと、寂しい標語である。

2011年12月6日火曜日

劇場型選挙

毎日新聞に「ニュースの匠」と言う、鳥越俊太郎氏の時評欄がある。大阪の選挙のことを書いていたので、紹介したい。

大阪のダブル選挙。これはかつて小泉純一郎首相が行った小泉選挙」 の大阪版ですね。「郵政改革」というシングルイッシュー(単一の課題)を掲げ、抵抗勢力」という敵をつくって大声で叫ぶ。有権者、特に無党派層があおられる。
今回も同じですよね。「大阪都構想」という旗印を掲げ、大阪市役所という敵役をつくり出して熱く語った橋下徹氏。大阪を再生させたいという大阪の人々の願いと大阪都構想がどこでどう結びついているのか、今ひとつ見えないまま、大阪の有権者は「橋下さんなら大阪を変えてくれるだろう」という、熱狂状態で投票日を迎えました。結果は小泉選挙の時と同じ。熱狂は一つの変化を生み出しました。大阪維新の会が擁立した橋下市長と松井一郎府知事の誕生でした。しかし、ここで一つ考えてみましょう。小泉選挙がもたらし、残したものは何だったでしょうか。日本はよくなったでしょうか。変わったでしょうか。答えは「NO!」です。変わったどころではありません。貧富の差は広がり、国の借金は900兆円近くまで積み上がりました。
私は常々思っていますが、国民の、有権者の熱狂はロクな結果を生まないということです。それは太平洋戦争の末路が私たちに教えてくれる最大の教訓です。そして、この熱狂状態をつくり出すのにメディアのあり方が大きくかかわっているという事実です。小泉選挙の時はテレビが先導しました。今回も一見大阪市長選は平松・橋下両候補にバランスを取って報道されているように見えましたが、独裁者をアピールする橋下氏がテレビ向きでした。

私も、鳥越氏の考えに同感である。メディアの劣化が言われて久しい。特にテレビの責任は大きい。何度、同じ事を繰り返したら気が済むのだろう。

2011年12月2日金曜日

切れる


日経新聞に切れる「中高年男性と」いう興味ある記事が載っていた。紹介しよう。

駅や空港、病院などの公共の場で、ささいなことでキレて駅員や職員らに手を出したり、言い寄ったりする中高年男性が目立つ。一見普通で分別のありそうな大人の男性がなぜキレてしまうのか。専門家はギスギスした職場環境や高齢者の孤独といった現代社会のひずみが背景にあると主張する。
「ふざけるな!」。首都圏にある私鉄の駅で、駅員のAさんは激高した中年の男性乗客からいきなり顔面に平手打ちを受けた。最終電車に乗り遅れた男性客に「申し訳ありませんが、もう電車はありません」と頭を下げた瞬間の出来事。非は乗客側にあるはずだが、この男性は乗り遅れた怒りを駅員にぶつけたのだ。私鉄やJRなどがまとめた調査によると、駅員などへの暴力行為件数は増加傾向にある。2010年度は868件と06年度より約3割増えた。大半は男性の加害事例だ。年齢別では60代以上が最も多く、以下40代、50代の順で中高年が目立つ。
一見普通なのに
駅員や他の乗客に対し、暴力に至らなくても、詰め寄ったり、暴言を吐いたりする迷惑行為は後を絶たない。近年の特徴は一見普通の中高年男性が突然キレるケースが目立つことだ。こうした行為をする男性の多くは、少し時間がたつと、冷静さを取り戻し反省するという。
悪質な行為に対し、交通機関側は断固とした対応をとるようになってきている。「1席くらい空きがあるだろう。なぜ乗せないんだ!」。今年3月、羽田空港の国際線ターミナルで怒声が響いた。航空会社のカウンターで中年の男性が激高し、カウンターの壁を蹴って損傷させた。男性は予定より早く空港に到着したため早い便への変更を求めたが、あいにく満席だった。「残念ながら席がございません」と謝る空港職員に腹を立てた末の蛮行。結局、この男性は10万円近い修繕費を支払う羽目になった。
病院でも、中高年男性によるトラブルが増えている。「指示に従って入院しているのになんで治らないんだ」。都内の大手病院に乳がんの疑いで入院した患者の夫(50)は回復しない妻の容体にイライラを募らせ、担当医と看護師に怒りを爆発させた。医師が病状を説明しても納得せず、次第にエスカレート。2時間以上も医師と看護師を拘束し大声で怒鳴り続けるなど、常軌を逸した行動を取った。
社団法人全日本病院跡会が3年前に全国約1100の病院に院内暴力の実態を尋ねたところ、過去1年間で「暴行や対応に苦慮した暴言があった」と答えた病院は521%の不況で会社をリストラされたり、人員削減で仕事量が増えたりして、中高年男性のストレスが増加していることを背景にあげる。
キレる現象は現役世代だけでなく、退職者の間でも広がっている。「暴走老人!」などの著書がある作家の藤原智美さんは次のように解説する。「地縁や血縁が薄くなった昨今、昔に比べて親戚や他人と話をする機会が減った。対話能力も低下しており、不満があってもなかなか口にできない。そのストレスが限界点を超えた時にキレるのではないか」
脳内物質も関係?
脳科学の観点からの分析もある。人間の情緒を安定させる脳内物質のセロトニン研究の第一人者、東邦大学医学部の有田秀穂教授によると、この物質は衝動や攻撃性を抑制する作用があり、不足すると感情の起伏が激しくなって、ささいなことでもキレやすくなるという。「分泌を促すには運動、日光浴、ふれあいの3要素が大事。デスクワーク中心の現代人は太陽の光を浴びずに机に向かう時間が増え、同僚と赤ちょうちんで一杯という機会は減っている。不足するのは当然」と語る。
有田教授はセロトニンの分泌を活発にする運動療法の実践の場として、「セロトニン道場」を都内に開設している。受講生の中には中高年男性の姿も目立つ。こうした教室に通わなくても、日ごろストレスを感じている中高年男性は、「運動・日光浴・ふれあい」の3つの要素を積極的に日常生活に取り入れてみてはどうだろう。

最近脳内物質とか、脳の機能とかがよく言われるが、こんな言葉に惑わされてはいけないと思う。「運動、日光浴、ふれあい」の大事さを強調するのに「セロトニン」を出す必要はないと思う。

2011年12月1日木曜日

ハイカラさん

高峰秀子のことは、以前書いたが、「台所のオーケストラ」という本の中で、面白くて勉強になる文章(バター)を紹介しよう。
バタ- butter
日本人は、新語を作る名人で、昔は、西洋かぶれのことを、「ハイカラさん」とか「バタ臭い」とかと表現したものである。「ハイカラ」は、洋服の高い襟、ハイ・カラーが縮まってハイカラとなり、「バタ臭い」は、文字通りバターを使う「洋食」ちゅうもンを食すモダンな人、言いかえれば「キザな奴」という意味もあった。
私はあっさりとした日本食が二日も続くとヘナヘナと元気がなくなり、無性にバターの味が恋しくなるというバター好きだが、なんといっても、バターはフランスの無塩バターが最高で、パンにバターをつけるのではなく、バターのかたまりにパンを乗せる、というやりかたで、バタ-の味を楽しむほどだ。
フランスのパンは塩気が強いので、無塩バターをつけて食す。日本のパンは塩気がないので、塩分の強いバターをつけて食す。所変われば品変るっていうけど、ホンマやね。
生まれるのはやさしいが、人になるのはむずかしい。(フィリピンの諺)
バタ臭いは知っていたが、ハイカラさんは知らなかった。
最後の諺は、おまけで載せているのだが、いい諺である。