2011年12月20日火曜日

城山 三郎

日経連載の「忘れがたき文士たち」に作家城山三郎が載っていた。城山三郎と言えば、「落日燃ゆ」や「男子の本懐」等で有名な作家である。徹底した取材で定評がある。連載記事の一部を紹介しよう。(文中の私は編集員の浦田憲治氏)

城山自身も潔癖だった。少年時代に軍神杉本五郎中佐の『大義』を読んで愛国少年となり「お国のために尽くそう」と敗戦の3ヶ月前に海軍特別幹部練習生に志願入隊。17歳だった。しかし憧れの帝国海軍は大義の世界とは異なり、腐敗していた。早朝から夜更けまでこん棒で殴られ、悪夢の日々を過ごした。敗戦後、指導者たちはひょう変して民主主義を唱え始めた。
「軍隊で堕落した組織にいじめられ、敗戦でそれまで信じてきた忠君愛国の思想が間違いだったとされ、国家から二重に裏切られた。個人がどんなに頑張ろうとも指導者が方向を間違えば国は滅びる。つらい戦争の体験だけは残しておきたいと思った。指導者に対して厳しい目を向けるようになった」
復員して東京商科大学(現一橋大学)に入学したが、新時代には順応できなかった。禅寺に住み込んだり、YMCA(キリスト教青年会)で洗礼を受けたり、哲学研究会に入部するなど思索の日々が続く。ジョイスなどの文学書を読みふけり、同人誌に詩を発表。山田雄三ゼミに入ってケインズの経済理論の研究に明けくれた。疾風怒涛の日々が城山文学の礎となった。
2006年夏から「私の履歴書」を連載して頂くために、私は仕事場を訪ねるようになった。最後にお会いしたのは亡くなる2カ月前の07111日。「一杯やりませんか」と誘われ、駅ビルの居酒屋にご一緒した。赤ワインを飲みながら語る城山さんは声はかすれていたが、とてもお元気だった。
「私の履歴書」は自身の文学の原点である戦争体験について多くの筆を費やしている。国民が十分な知識を得られないままに無謀な戦争に突入したこと、「水中特攻隊」など信じられないような兵器が編み出され、青年たちを次々と死なせようとしたこと‥。「腹が立つより、悲しくなる」と書いていた。
城山さんが国からの叙勲を拒否し、武装した自衛隊のイラク派遣や個人情報保護法案に反対したのは二度と戦争を引き起こしてはならないという信念からだった。城山さんの小説が長く読まれるのは、こうした潔癖さと、ひたむきな使命感が読者の胸を熱く打つからだろう。

国から叙勲を拒否する人はそんなにはいない。城山氏は国家に対して抜き難い不信があったのだ。

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