2012年4月17日火曜日

ショック・ドクトリン

民医連医療5月号「メディアへの眼」(畑田重夫)の「節操のない巨大メディア」のタイトルで、5大紙「朝日」「毎日」「読売」「日経」「産経」の不甲斐なさを指摘している。古い人間は「朝日」は反権力側と思っている人がいるかもしれないが、かなり前から「体制擁護」新聞となりはてている。全国紙ではないが、首都圏の新聞である「東京新聞」が検討している程度である。記事の中で、面白い部分を紹介する。

相次ぐショッキングな出来事
いま世界各国で広く読まれている本にナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』があります。邦訳書も、岩波書店から上・下巻で刊行されています。この本は、大企業というのは、ハリケーンのような自然災害にしろ、政変などの社会的異変にしろ、そこへつけこんで金儲けをすることを考えるものであるということを実証的に装付けている労作です。いわば大惨事便乗型資本主義の正体を暴いている書物です。
日本でも、「3・11」の東日本大震災につけこんで、「○○特区」などといい、大企業が被災地へ乗りこんでいって利潤をせしめようとしていますが、思想的・政策的にも、「3・11」以後、急に保守的、反動的な言動が目立つようになりました。
「3・11」を契機として、国民の間には、助け合いや思いやりといった協調的なムードが広がりつつあり、人々の人生観、社会観、世界観も変わりつつあるのに不快感をいだき、焦りや不安を覚えるのでしょうか、そこにつけこんでショッキングな波紋を投げかけるかのような言動が目立つのです。
代表的なのは、名古屋の河村たかし市長の「『南京大虐殺』はなかった」や、石原慎太郎都知事の「憲法を破棄せよ」といった主張などです。
今年は、日中国交正常化40周年という節目のですし、名古屋市と南京市は「友好都市」の関係にあるにもかかわらず、南京大虐殺はなかったという言い方は、ひとり名古屋市の問題にとどまらず、日本の対外政策にかかわる重大問題です。これこそ、歴史認識にかかわる深刻な問題です。
石原都知事は、彼に定期的に紙面を提供する「産経」(3月5日付朝刊)紙上で、「日本人はなぜ肝心なこと、基本的なことについて考えようとしなくなったのだろうか」と前置きし、北朝鮮やロシアと日本との関係にふれた後、「シナはシナで東シナ海における領海の区切りに難を唱え、尖閣諸島は自らの領土だと主張し日本領海での海底資源調査に難癖をつけその中止を迫る」と述べています。
中国と言うべきところを、意識的に「シナ」と言うとは、まさに確信犯的な思想のあらわれとしか言いようがありません。そのうえで、石原氏は、憲法の「改正」や「改定」ではなく「破棄」をすべきだという持論を次のように展開しています。
「憲法改正などという迂遠な策ではなしに、しっかりした内閣が憲法の破棄を宣言して即座に新しい憲法を作成したらいいのだ。憲法の改正にはいろいろ繁雑な手続きがいるが、破棄は指導者の決断で決まる。それを阻害する法的根拠はどこにもない」
石原氏は、現憲法を、米占領軍に一方的に押しつけられたものという認識に立脚していますが、数年前に、日本各地で上映された「日本の青空」という映画を観てもわかるように、現憲法は単純にアメリカによって押しつけられたものとみるのは事実に反します。鈴木安蔵民ら日本の意法学者たちの研究や日本の各政党の憲法草案なども十分に生かされているし、最終的には1946年の日本の意法制定議会における衆院特別委員会(芦田均委員長)の議を経て国会が確定した憲法なのです。
現憲法99条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ」と規定されています。石原氏は、選挙で選ばれた地方公務員の一人です。この憲法を守る義務のある彼が、破棄を唱えるということは、それこそクーデターを主張しているに等しいわけで、民主主義の原理のうえに成り立っている日本の社会と国においては絶対に許されない言動と言わなければなりません。


石原氏のような言動に対して、はっきりと指摘するメディアを構築したいものである。

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