2012年4月2日月曜日

援助への期待感に応じる支援

毎日新聞の日曜版に以前、「心のサプリ」というタイトルのコラムがあった。いいコラムだったので、終了したのが残念であった。ところが、4月より「新心のサプリ」と題して復活した。書いているのは、診療内科医の海原純子さんである。4月1日のコラムを紹介する。

日曜朝のこのコーナーを、また書けることになった。いったん終了した連載が復活するというのはあまり聞かないから、これは読者の方々から「帰れコール」をたくさんいただいたためだろうと、心から感謝の気持ちでいっぱい。この1年、思うことはたくさんあるのに、表現する場がなくて、本当につらかった。毎月の連載やウェブ媒体とは違う、毎週活字になる文章の重みをしっかり感じつつ、新しいスタートを切りたい。
さて、震災後1年が経過した。震災以前とははっきりした変化を感じるのは、「じゃあ、またね」という言葉を発するときの心の持ち方である。この一言の重みが以前と違うのは、関東などでも大地震が近いうちに起こる可能性があると発表されたためだろう。
数カ月に一度会う友人と別れるとき、その一瞬の相手の笑顔や手を振る姿が、はっきりと脳裏に刻まれる。かつては、全自動のカメラで撮ったようなその記憶が、震災後は、ライカの手動カメラで1校ずつピントを合わせ、フレームに収めたように明確だ。一つ一つの出会いが当たり前ではなく、幸せなのだとの無意識の気づきが、この変化を生んだのだろう。
ところで、知り合いに高校生の娘と小学生の息子をもつ夫婦がいる。裕福とは言えないが元気なお父さんとパートで働くお母さんに子供たちの4人家族だ。近々大きな地震の可能性があると聞いたとき、娘は「お父さんがいるから大丈夫」。この一言に、両親は、うれしく感じつつも身が引き締まった。
困難な状況に陥った人へのサポートは、四つの方法がある。第一は直接的支援、第二は情報による支援、第三は共感による支援、そして第四は援助への期待感に応じる支援だ。この期待感とは、「大変な状況でも、あの人がいるから何とかしてくれる。手助けしてくれるだろう」という思いのこと。
こうした期待感は、困難な状況を乗り越える大きな助けになる。先に紹介したお父さんは、まさに援助への期待感を受ける役目をしているのだろう。その安心感が子供たちを救う。一家の大黒柱という言葉はもはや死語かもしれないが、その存在の大切さを実感する。
今の日本、援助への期待感を受けるというサポートをしている政治家はいるのかしら、と思うと心が寒い。見かけや言葉に惑わされず、地道に役割を果たす人を選ぶ力が必要だろう。この困難な時代、このコーナーでそんなことを考えたり、ちょっと笑ったり、泣いたり、怒ったりしていきたいと思う。

サポートの方法の4番目の「援助への期待感に応じる支援」という視点は、なるほどと思った。この期待感に応じる支援は、日常の職場でも当てはまると思う。日々、期待に応じる支援がでるよう努力していきたい。

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