2013年1月29日火曜日

高群逸枝

 石牟礼道子著「最後の人 詩人 高群逸枝」を図書館から借りて読もうとした。期限15日間で読むことができなかった。途中まで読んで、取り合えず返却することに。高群逸枝(女性史学の権威であり、詩人)の名前だけでも、覚えていただくために、あとがきの一部を紹介。

 高群逸枝さんは一八九四年生まれで、石牟礼さんが一九二七年ということは、年は三十二、三違いますね。同じ熊本県に生まれ育った高群逸枝さんは、水俣で非常に有名な方だったんでしょうか。
石牟礼 いいえ、全然。私は水俣の栄町に小学校の二年か三年生までおりましたけれど、同じ町内の四、五軒先に、橋本商店という食料品のお店があったんです。それで小さい頃、よく大豆とかお砂糖とかを買いにやらされておりました。そのお店が橋本憲三(高群逸枝の夫)さんご姉妹の家とは、もちろん知るよしもなく。
逸枝さんが亡くなられて、憲三さんと静子さんが私の家に見えられた時に、静子さんの姿を見て「ああ、あそこの店の人」って思いました。背中のすっと伸びた近代的な美人で、おおらかな、とても知的な感じの人でした。お顔もよく存じあげていて、ものはいわなかったけれど、親しい人と思っておりました。それでうちに来られて仰天しましてね。まさか同じ町内におられたとは。同じ町内ではありましたが、逸枝さんと憲三さんは一年に一回も帰っておいでにはならない。それでも橋本家には、東京の二人を実際に援助した姉妹がいたんです。あのお二人は、お国のために勉強しよるんだから、援助をせんといかんとおっしゃって、戦時中にもお金や食べ物を送りつづけられた。そうしたことは後から知りました。 
当時(1964年頃)、私はサークル村に入っててちょっと書いたり、谷川雁さんがやっておられた大正行動隊に行ってみたりしていました。短歌をやめかかっていたので、別な表現を獲得したかったんです。そのころ、自分を言い表せるものが何にもないと思ってて、いろいろ悩んでいました。結婚とは何ぞやとか。そして表現とは何かと。
当時、私は、村の中の石牟礼家の嫁になっているんですが、お嫁にいってみたら、何かしら違和感がある。全部価値観が違う。あらためて村全体を見てみたら,よその嫁さんたちも、女性は不当なあつかいを受けていると思ったんです。
高群逸枝と石牟礼道子をつなぐもの)より。
石牟礼道子と言えば、水俣病。「苦界浄土」である。これは、引き込まれるように読めたが、この本は読みきれず。再挑戦したい。

2013年1月25日金曜日

東京物語


通販生活を定期購読しているが、通販で物を購入しているわけではない。通販生活の中の「トピックス」や「対談記事」等を読むために購入している。割と安価である。今回は山田洋次映画監督と落合恵子さんの対談がいい。一部紹介する。
落合:山田さんの新作「東京家族」は、家族という人間関係のあり方について考えさせられる作品でした。
山田:わざわざ観ていただいて、ありがとうございます。
合 この映画は、小津安二郎監督が1953 (昭和28)年に作った「東京物語」にオマージュを捧げたものだそうですね。
山田:ずいぶん前から「東京物語」の再映画化を考えていたんです。かんたんに言うと、田舎の両親が東京に出てきて、息子や娘たちの家に滞在したあと、軽い失望を抱いて帰って行く話ですよね。この骨組みは今でも使えるというか、逆に言えば、これを使って現代の「東京物語」ができるんじゃないかなと思った。
落合:山田さんは、大学を卒業した54年に小津さんがいらっしゃった松竹に入社されて・・
山田:その頃、小津さんはまだ健在でした。「彼岸花」(58)とか「お早よう」(59)のあたりですね。あの頃の小津さんは遠くから仰ぎ見るような存在でした。でも、当時の若者としては小津映画ってほとんど興味が持てなかったんです。何か古臭くて(笑)
落合:ハハハ。
山田:小津さんが描く市民生活は、当時の僕たちの生活感覚にしては上等過ぎたんですね。生活難も何も出でこない。銀座でおいしい料理を食べるなんて、昭和30年代は金持ちしかやらないことでしたよ。
落合:そうでしたよね。
山田:だから、僕は「小津さんは、庶民の苦しみなんか絶対わかっていない」と思いながら少し馬鹿にして観ていたな。
落合:それが21世紀版の「東京家族」として再創作するお気持ちになったのはどうしてですか。
山田:自分が監督をしだした頃から、テレビなどで小津さんの映画を見ると、ふっと惹かれるようになっていったんです。「何だかいいな」と。映画作りの難しさしさがわかってくると、小津さんのような映画を作るのは実はとても難しいんだということがわかってきたというか。
落合:小津さんの「東京物語」が作られた1950年代に東京にやってくる老夫婦の現実と、現代の東京にやってくる老夫婦の現実は違いますよね。小津さんの頃の家族の形態は、ちょっとほつれが出てきているけど、まだしっかりしていました。でも現代は家族であり続けること自体の、困難さが社会的にもあります。
山田:「東京物語」が描いたのは、戦前から続いている東京あるいは大阪などの大都市の郊外に育まれた小市民、中産階級の生活文化です。ところが、1955年ぐらいからこの国が大きく変り出した。
落合:高度経済成長時代からバブル崩壊、そして現代と、拝金主義はそのまま残存している。政治も経済も崖っぷちの今の時代に「東京家族」を作られるほうが、はるかに靴しい社会背景があるのではないかと思うんです。
山田:東日本大震災が起こる前まで、「東京家族」のストーリーで僕が一番難しいなと思っていたのは、お父さんの最後をどうするかということでした。小津さんの時代はまだ田舎にいっぱい人がいたから、最後はお父さんが尾道でひとり暮らしになるけれども、末娘は一緒だし、隣近所とも仲良く暮している。でも、今は過疎化がすごい勢いで進んでいます。だから、お父さんの最後をどうするかは小津作品よりももっと重い課題になると思っていました。
「東京家族」は今、TOHOシネマズ甲府でやっている。見に行こうと思っている。

2013年1月22日火曜日

日本語の冒険


阿刀田高「日本語の冒険」を読む。阿刀田高は県立図書館の図書館長である。有名人を図書館長にして、めったに山梨にいないのに、高額を払うより、図書館を利用しやすくするために、税金をつかって欲しいものだ。
作家としての「阿刀田高」は好きである。ショート・ショウートやユーモア小説が面白い。「日本語の冒険」の中の(天使の辞典)の一部を紹介。

(天使の辞典)なんて宗教ぽくって、いけてないんじゃないすか」
「タイトルはあとでいい。まず内容だ。えーと、これなんかどうだ」
指先でレポート用紙を叩きながら言う。「はい?」
「幸福、サラリーマンにとってはよい上役、妻にとっては夫の母がよいこと」「経験あるみたいですね」
「馬鹿。そのくらいは知っとる。命、人は必ず死ぬ。だから生きていることを大切に」
「りっぱ過ぎて源さんじゃないみたい」
「俺は本当はりっぱな人間なんだ。酒、いっぱいめは喜びのため、二はいめは悲しみをまざらすため、三ばいめは、その他すべての理由で」
「わかるなあ」「で、次。喜び、みんなで喜ぶと、喜びは大きくなる。悲しみ、みんなで悲しむと悲しみは小さくなる」
「なるほど」
「算数、“ひどい点数だな。算数がきらいなのか”“いいえ、僕は好きなんだけど算数が僕をきらうんです”」
「いいじゃないすか。僕もそうでした」
「有名人、有名無実にならないように」
「いますね、そういうの」
「錬金術、女は涙で金を造る」
「どこかで聞いたような気がするけど」
「かまわん。上手に見出しをつけて辞書にすることが大切なんだ」
「試験、“どんな問題が出た”と尋ねられ、全部思い出せる人は合格」
「どうしてですか」
「俺の経験だ。思い出せるのは、よく考えて答えたからだ。鉛筆を転がして○×をつけたやつは、思い出せない」
「そうかもしれませんね」「放尿、限りなく透明に近いイエロー」
「なんですか、それ」
「村上龍を知らんのか。(限りなく透明に近いブルー)。デビュー作だぞ」
「聞いたことありますけど。しかし、その解釈でなにか人生の役に立つんですか。(天使の辞典)はそれが目的でしょ」
「まさかのときには“限りなく透明に近いイエロー”でーす、“失礼”と謝る。みんなが笑って許してくれる」
「そうかなあ」「ユーモアが大切なんだ、生きていくには」
 他に「コーヒーは青山で飲むのが美味しい」⇒「ブルーマウンテン」
 他に「人生には三つの山がある。上り坂、下り坂、そして“まさか”」
 ま、親父ギャグみたいなものではある。
追記」「忠告なって一円玉くらいなものよ、あんまり役にたたない」

2013年1月16日水曜日

馬は乗るものか、食べるものか



「食と文化の謎」(マービン・ハリス)岩波書店を読む。人間は他の雑食動物と同じように広い範囲の物質を食べて必要な栄養をとっているが、実際には、どの社会も食事のメニュー幅はきわめて狭いと言う。
その中で、「馬は乗るものか、食べるものか」という章で、なぜ、アメリカ人は馬肉を食べないのか・・の一部を紹介する。
今日も、アメリカには約800万頭の馬がいるーー世界で一番多い。その大部分は娯楽や競馬や「ショー」のため、また、繁殖用に飼われている。つまり、多くは「ペット」なのだ。馬を食用に飼う精肉産業がアメリカでなぜ発達しなかったのかは理解できるーー馬の消化器官が牛や豚にくらべて効率が悪いからだ。しかし、ほかの目的で馬を飼う副産物としてその肉を利用したってよいのではなかろうか。
最初に言っておくと、アメリカには、実際には、かなりな規模の馬肉精肉業が存在する。ただ、その製品は海外で消費される。アメリカは世界一の馬肉輸出国であり、通貨条件がよければ、年に1億ポンド以上の生肉、冷凍肉、冷蔵肉を外国に売っている。そこで、問題は、その肉がなぜアメリカで食べられないのか、ということにしぼられてくる。
アメリカに馬肉市場をつくろうとした最近のいくつかのこころみをふりかえってみると、ほかの肉より安く買えさえすれば、多くのアメリカ人は馬肉を受けいれると思われる。
しかし、そういうひとたちも、牛肉および豚肉業界の組織的な抵抗、また馬愛護者の攻撃的な戦術のため、その機会をほとんどえられない。馬愛護者は、馬の高貴なイメージを守ろうとして、かつてのヨーロッパの馬所有貴族とよく似た役割をはたしている。
この点に関して、馬を「ペット」として飼っているひとたちの感情や利害は、一般消費者の感情や利害とかけはなれており、フランス革命以前のフランス人がすべて馬肉を食べることに反対していたと言うのはおかしいように、今日の一般のアメリカ人すべてが馬を食べることに強い嫌悪感をいだいていると言うのも、おそらく正しくないであろう。
馬愛護者は馬肉を人間が食べることに反対するが、皮肉なことに、第二次大戦後長いあいだ、馬肉は安いためにドッグフードの主成分としてつかわれていた。あきらかに、あるペットが他のペットを食べることにはだれも反対しなかったわけだが、それだけでなく、相当な数の貧しいアメリカ人が、ドッグフードが格安であることを知り、かれら自身が食べるために買っていたことに、馬愛護者たちは気づいていなかった。今日では、馬肉は高すぎてペットフードにはつかえず、ペットフード産業は牛、豚、鶏、魚の肩肉や内臓をつかわざるをえなくなっている。
確かに、馬愛護者と同じように、鯨愛護団体、イルカ愛護団体の行動は日本にも大きな影響を及ぼしている。確かに食に対する反応は、簡単なことでは説明できない。

2013年1月15日火曜日

連載小説


赤旗日刊紙に今月5日より、薬剤師が主人公の連載小説が開始された。まだ、これからどう展開するか、わからないが「イレッサ」のことから物語は始まっている。モデルは民医連薬剤師であろうか。以下7回目の部分を紹介する。

月の舞台(須藤みゆき)

みなとの駅で()
「徹底的な、原因究明」私はそれを、言葉に出してみた。そうすることで、自分の今感じている恐怖から、逃れようとしている。
確かにそうだ。理屈ではわかる。でも、私はいつも、意識のずっと奥の方で、おそれていたのだ。自分がいつか、加害者になってしまうかもしれない、ということに。真夏の夜に心霊番組を見ている時のように、さっきから時々襲ってくるぞっとするような感覚の原因は、まさにそれなのだ。ビラに書かれたあの文字は、決して私の対極にあるものではなく、常に私の横に存在していたのだ。
そして、イレールが世に出た年に薬剤師となった私や広瀬さんは、直接にはその薬を扱ったことはなかったけれど、おそれと同時に道義的責任も、常に感じてもいたのだ。
薬に携わる者として。
それはそういう立場に立たされた時、本能のように当然に抱く感情だ、と思う。少なくとも私と彼女はそうである。その、共通した感性と倫理観が、私たちふたりをつなげている。
「私たち、いつか、加害者になるかもしれないね」私は言った。それは、自責の念からというより、恐怖のあまりに出た言葉だった。「加害者・・か」
すっかり冷めてしまった紅茶を意味もなくかき混ぜている広瀬さんの目は、どこか遠くを見ているようだった。
「そういうおそれのようなものは、私たち、常に持っていないといけないんだろうね」広瀬さんが、言った。
みなとの駅のホーム。埋め立て地に、まるで置き去りにされたかのようにポッンと建つ、小さな駅。
暗闇の中、そこだけが、まるで夜空の彼方からのスポットライトに照らされているかのように、ぼんやりと明るい。
「国家試験の合格発表が掲載された新聞、どうしてる?」突然に、広瀬さんが言った。ホームの上には私たちだけ。工業地帯の照明と、向こう岸の灯り、そして空にはちりばめられた無数の星。私たちは闇の中にいながらも、包まれていた。
「今頃、どこかの空を漂っているんじゃないのかな?」私はプラネタリウムのような夜空を見ながら言った。
今夜は満月。
寒さのために空気はしんと澄み渡り、最近、さらに近眼が進んだのか、眼鏡の度が合わなくなってきた私でも、ドームに張り付くようにして輝く星たちを、はっきりとこの目に見据えることができる。
「空を漂っているって、どういうこと?」広瀬さんは好奇心とも困惑とも取れる、どこか思慮深い表情を作って私にきいてきた。
その時、彼女の乗る上り電車と私の乗る下り電車が同時にホームに入って来た。「今日はもう遅いから。明日は夜救診だし・・」「そうだったね。お疲れさま」私たちは、それぞれ別方向へと向かう電車に乗った。
この機会に赤旗日刊紙を購読していない方は、ぜひ購読を。

2013年1月11日金曜日

従軍歌謡慰問団


「従軍歌謡慰問団」(馬場マコト著)という、若い人にはぴんとこないであろう本を読んだ。あとがきが印象深かったので紹介したい。

あとがき
「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という言葉がある。しかしいつも思う。確かに時代の変化とともに歌は変わってきたが、時代をがらりと変えてしまうほどの、思想ある歌の出現は、ビートルズ以外にあったのかと。
ヒットという宿命の課題をもたされた音楽界は、時代の変化を嗅覚的に嗅ぎとり、新たな時代の言葉と音を創出できる者たちだけが生き残る世界だ。
この本のおもな主人公である藤山一郎、東海林太郎、西候八十、古関裕而が、戦時中に数多くの軍歌・戦時歌謡をつくり歌いながらも、戦後さらりと平和讃歌を創出することに、違和感をもって、お前たちには思想がないのかと迫る人々に、彼らは言うだろう。
「右も左もない、自分は時代の子だ」と。それは視聴率争いや競合を日々くりかえすテレビ界、広告界においても同じだ。時代というじゃじゃ馬に振り落とされず、長く並走していくには、瞬発力と柔軟性がいつも要求される。
平時はそれでいい。抜いた抜かれたと喜び嘆き、次なる自分の新たな感覚を駆使して、時代におもねながら、新たな時代の言葉や音を紡ぎだせばいいのだから。 
しかし、いったん戦争が起きた時には、「思想なき時代の子」はなんの思慮もなく、やすやすと戦争の手先になってしまう。
それを熟知していた戦前の情報局が、広告・映画・演劇・文学・美術・音楽を一括に管理する部署として、第五部を設置したことは象徴的だ。
そして、そこからつぎつぎと発信されたメッセージは、これも「思想なき時代の子」である大衆に、熱狂的に受け止められ、過熱し、増幅し、肥大化していった。
この本の主人公の慰問先にあわせるようにして、私はこの一年間いくつかの旅をつづけた。
大連からハルビンまでの汽車の旅、上海から揚子江を遡行する旅、マレー鉄道を縦に乗り継ぐ旅、そしてインドネシア諸島を転々とする旅。
いずれも旅の記憶として「遠さ」だけが残った。
日本軍と日本人はここまで来ていたかという、なかなか信じがたい「遠さ」だった。今以上に過酷で困難だった、70年前の彼らの旅の「遠さ」に、戦争に反射し、傾斜する、人間さがの「狂気」と「性」を想った。
『戦争と広告』で1907年生まれの新井静一郎をとりあげ、『花森安治の青春』で1911生まれの花森安治を、「従軍歌謡慰問団」で1911生まれの藤山一郎を主人公にしたのは、同世代人である。
1911年生まれの私の父、馬場八十松の中に秘められた、その「狂気」と「性」を知りたかったからかもしれない。
逓信省の北陸電話局に勤めていた父は妻と子ども3人を連れて、1942年満洲電電に移った。その地で子供三人をつぎつぎに亡くし、満州で生まれた子ども一人を引揚げ船の中で亡くして、19464月帰国した。
なぜ父は戦争に反射し、満州へ傾斜していったのか。
父の生前にお互いにその話をしたことはなかった。
明治の父には、あの戦争のことを聞かさせぬ雰囲気がどこかにあった。
母、百代は何年たっても「マユミ、マキオ、ムツミを冷たい土に埋めた、マサコの遺体を引揚げ船の中から海に捨てた」といつも泣き、「戦争だけは嫌だ。戦争だけはしてはいけない」と言いつづけて90歳で死んでいった。私の幼いころ母はいつも茶の間を掃きながら「長崎の鐘」を歌っていた。
父が亡くなり遺品をかたづけていたら、戸籍謄本がでてきた。私の三姉マサコの死亡届けは、1946年の41日に、長崎の大村市引揚げ収容所で出されていた。私は19472月生まれだから、母は四人の子を失い、戦後八か月ぶりに帰って来た日本で、五月に私を受胎したことになる。
姉兄四人の死がなければ、私の生はなかったのだろう。その私は40年以上に亘り広告企画の仕事を通して、時代と並走し、時代に添い寝してきた。
父が生きている間に直接聞けなかった、父の内なる「狂気」と「性」を探るように、私はこの3年、広告、媒体、音楽界を透過して、人は戦争にどう反射し、傾斜するかを書いてきた。そのなかで前の不幸な戦争に唯一学ぶものがあるとすれば、「人間は戦争に真剣に熱くなる狂気の動物だ」ということだ。
私は父から引き継いだ内なる「狂気」と「性」を恐れ、震える。
戦争が起こってしまえば、人は確実に戦争に反射し、熱くなり疾走する。
だからこそ自分の内なる本能を自覚し、なにがあっても、いま、戦争を起こしてはならないのだと思う。
安倍首相は、憲法96条を改正して、「国防軍」をつくろうとしている。そのためには各議院の三分の二の議員の賛成が必要である。来るべき参議院選挙で改正派が三分の二なったら、その先はどうなるのであろうか。待っているは戦争のできる「国防軍」である。

2013年1月8日火曜日

誤読


 「独裁入門」(香山リカ)を県立図書館で借りて読んだ。今、「独裁者」と言えば、「ハシズム」と言われている人であろう。その中で「ツイッター」について書いてあるところを少々長いが紹介する。
拡散する「誤読」
20127月、ツイッターやネット掲示板で、音楽家の坂本龍一氏が突然、激しく批判されるというできごとが起こった。
坂本氏は、2012716日に代々木公園で開かれた「さようなら原発10万人集会」に参加し、壇上からスピーチを行ったのだ。
その集会には主催者発表17万人へ警察発表75000人といずれにしても10万人前後の人々が集まり、炎天下の中、音楽のライブや大江健三郎氏へ瀬戸内寂聴民らのスピーチを聴いたり、三手に分かれてデモ行進を行ったりした。私も会場にいたのだが、コンサートやスポーツイベント以外でこれほど多くの人たちが一カ所に集うのを見たのは初めてであった。
坂本氏は、主催した団体の呼びかけ人のひとりとして登壇し、会場から多くの拍手を浴びた。呼びかけ人の中では、明らかに坂本氏がいちばん、若い世代にも知名度があるポップスターだったからだ。
それだけ注目も大きかったのか、その晩のテレビニュースの多くは、集会の様子とともに坂本氏が語る映像を取り上げた。そして、その映像にはこんなテロップがつけられていたのだ。
「たかが電気です。たかが電気のためになぜ命を危険にさらさなければいけないのでしょうか。」
この「たかが電気」というフレーズが、ツイッターなどで繰り返し取り上げられ、それに対して批判が殺到したのだ。以下は、実際に私が目にしたツイートの一部だ。
「電気で儲けておいてそんなこと言うな」「二度と電子楽器は使わないでください」「これから猛暑が予想され、電気がないと熱中症で命を落とす人もいます。それでもあなたはたかが電気と言うのですか」「被災地にとっては電気がないことがいかにつらかったか。ニューヨークに住んでいればわからないでしょうが」「私の親は人工呼吸器で生きています。その親に死ねとあなたは言いたいのか」 
この人たちはおそらく、「たかが電気」という印象的なひとことにのみ反応し、あたかも坂本氏が軽い口調で「たかが電気じゃないですか。そんなものなくたっていいんですよ」と電気や電気を使う人をないがしろにするような発言をした、と思い込んだのだろう。
しかし、坂本氏自身がネット上で発表している当日のスピーチ全文から、次の文章を見てもらいたい。
「原発に対する恐怖や、日本政府の原発政策に対する怒りというものが日本国民に充満しているのだと思います。毎週金曜日の首相官邸前の抗議も素晴らしいことだと思いますが、残念ながらそれだけでは原発は止まらない。再稼働されてしまった。(中略)それから、長期的にはなりますが、すぐ止めろと言っても止まらないので、われわれが出来ることは、電力会社への依存を減らしていくということです。こういう声が、もちろん彼らには少しはプレッシャーとなって届きますし、
電力会社の料金体系の決め方の問題とか、発送電の分離とか、地域独占とか、そういうものがどんどん自由化していけば、
原発に頼らない電気をわれわれ市民が選ぶことができるわけです。
(中略)言ってみれば、たかが電気です。たかが電気のためになんで命を危険にさらさなくてはいけないのでしょうか。ぼくは、いつごろになるか解りませんが、今世紀の半分くらい、2050年くらいには、電気などというものは各家庭や事業所や工場などで自家発電するのがあたりまえ、常識という社会になっているというふうに希望を持っています。そうなって欲しいと思います。
たかが電気のためにこの美しい日本、国の未来である子供の命を危険にさらすようなことはするべきではありません。
お金より命です。経済より生命。子供を守りましょう。日本の国土を守りましょう。」
つまり坂本氏の発言の主旨は、電気や電力を軽視することにあるのではなく、「命より大切なものはない」というほうにあるのだ。それを強調するために、あえて「たかが電気と命を引き替えにしてはいけない」という強烈な比較で、参加者に気づきを促したのだろう。私は当日、会場で坂本氏のスピーチを実際に聞いたが、その口調は感情を抑制した重いもので、そこには「たかが電気でしょ」といった軽薄さなどまったく感じられなかった。
こうして考えてみると、「病気の親の命はどうなる」「熱中症で死ねと言いたいのか」といったコメントは坂本氏の主張とはまったく趣旨がずれていることは明らかだ。経済効率優先をやめて、そういう人たちひとりひとりの命を大切にする社会を、ということこそが、まさに坂本氏の言いたいところなのだ。
ツイッター上でも「発言の全文を読んで」「電気なんてどうでもいいと言っているわけではない」などと呼びかけ、誤解を解こうとする人もいるにはいたが、その人たちまでが「事故後にわき出てきた反原発派が擁護しようと騒いでいる」などと批判される始末であった。
繰り返すが、反原発という坂本氏の主張を支持する、支持しないは別として、先に引用したスピーチから「たかが電気」の部分だけを抜き取って、「電気で儲けたくせにいまになって電気不要と言うのか」「熱中症で死ねということだな」と解釈するのは、明らかな誤読だ。そして、その人たちの問題がさらに深刻なのは、「誤解なので、全文にあたって前後の文脈もとらえてください」と誘導しても、そうしようとしないということだ。つまり、テレビのテロップ、ツイッターの140字、ネット掲示板のタイトルの二行か三行だけがすべてであり、そこに何か問題のあることが書かれているのを見つけたら、文脈やニュアンスなどまったく関係なく激しく反応して、批判や攻撃に出てしまう。ある部分だけ切り取られて批判されては、当事者は反論の余地もない。
私も、この集会に参加していたが、香山氏の言うとおり、違和感はなかった。ワンフレーズ、白か黒かの世界は我々をどこへ導くのであろうか。