2013年1月16日水曜日

馬は乗るものか、食べるものか



「食と文化の謎」(マービン・ハリス)岩波書店を読む。人間は他の雑食動物と同じように広い範囲の物質を食べて必要な栄養をとっているが、実際には、どの社会も食事のメニュー幅はきわめて狭いと言う。
その中で、「馬は乗るものか、食べるものか」という章で、なぜ、アメリカ人は馬肉を食べないのか・・の一部を紹介する。
今日も、アメリカには約800万頭の馬がいるーー世界で一番多い。その大部分は娯楽や競馬や「ショー」のため、また、繁殖用に飼われている。つまり、多くは「ペット」なのだ。馬を食用に飼う精肉産業がアメリカでなぜ発達しなかったのかは理解できるーー馬の消化器官が牛や豚にくらべて効率が悪いからだ。しかし、ほかの目的で馬を飼う副産物としてその肉を利用したってよいのではなかろうか。
最初に言っておくと、アメリカには、実際には、かなりな規模の馬肉精肉業が存在する。ただ、その製品は海外で消費される。アメリカは世界一の馬肉輸出国であり、通貨条件がよければ、年に1億ポンド以上の生肉、冷凍肉、冷蔵肉を外国に売っている。そこで、問題は、その肉がなぜアメリカで食べられないのか、ということにしぼられてくる。
アメリカに馬肉市場をつくろうとした最近のいくつかのこころみをふりかえってみると、ほかの肉より安く買えさえすれば、多くのアメリカ人は馬肉を受けいれると思われる。
しかし、そういうひとたちも、牛肉および豚肉業界の組織的な抵抗、また馬愛護者の攻撃的な戦術のため、その機会をほとんどえられない。馬愛護者は、馬の高貴なイメージを守ろうとして、かつてのヨーロッパの馬所有貴族とよく似た役割をはたしている。
この点に関して、馬を「ペット」として飼っているひとたちの感情や利害は、一般消費者の感情や利害とかけはなれており、フランス革命以前のフランス人がすべて馬肉を食べることに反対していたと言うのはおかしいように、今日の一般のアメリカ人すべてが馬を食べることに強い嫌悪感をいだいていると言うのも、おそらく正しくないであろう。
馬愛護者は馬肉を人間が食べることに反対するが、皮肉なことに、第二次大戦後長いあいだ、馬肉は安いためにドッグフードの主成分としてつかわれていた。あきらかに、あるペットが他のペットを食べることにはだれも反対しなかったわけだが、それだけでなく、相当な数の貧しいアメリカ人が、ドッグフードが格安であることを知り、かれら自身が食べるために買っていたことに、馬愛護者たちは気づいていなかった。今日では、馬肉は高すぎてペットフードにはつかえず、ペットフード産業は牛、豚、鶏、魚の肩肉や内臓をつかわざるをえなくなっている。
確かに、馬愛護者と同じように、鯨愛護団体、イルカ愛護団体の行動は日本にも大きな影響を及ぼしている。確かに食に対する反応は、簡単なことでは説明できない。

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