2013年1月25日金曜日

東京物語


通販生活を定期購読しているが、通販で物を購入しているわけではない。通販生活の中の「トピックス」や「対談記事」等を読むために購入している。割と安価である。今回は山田洋次映画監督と落合恵子さんの対談がいい。一部紹介する。
落合:山田さんの新作「東京家族」は、家族という人間関係のあり方について考えさせられる作品でした。
山田:わざわざ観ていただいて、ありがとうございます。
合 この映画は、小津安二郎監督が1953 (昭和28)年に作った「東京物語」にオマージュを捧げたものだそうですね。
山田:ずいぶん前から「東京物語」の再映画化を考えていたんです。かんたんに言うと、田舎の両親が東京に出てきて、息子や娘たちの家に滞在したあと、軽い失望を抱いて帰って行く話ですよね。この骨組みは今でも使えるというか、逆に言えば、これを使って現代の「東京物語」ができるんじゃないかなと思った。
落合:山田さんは、大学を卒業した54年に小津さんがいらっしゃった松竹に入社されて・・
山田:その頃、小津さんはまだ健在でした。「彼岸花」(58)とか「お早よう」(59)のあたりですね。あの頃の小津さんは遠くから仰ぎ見るような存在でした。でも、当時の若者としては小津映画ってほとんど興味が持てなかったんです。何か古臭くて(笑)
落合:ハハハ。
山田:小津さんが描く市民生活は、当時の僕たちの生活感覚にしては上等過ぎたんですね。生活難も何も出でこない。銀座でおいしい料理を食べるなんて、昭和30年代は金持ちしかやらないことでしたよ。
落合:そうでしたよね。
山田:だから、僕は「小津さんは、庶民の苦しみなんか絶対わかっていない」と思いながら少し馬鹿にして観ていたな。
落合:それが21世紀版の「東京家族」として再創作するお気持ちになったのはどうしてですか。
山田:自分が監督をしだした頃から、テレビなどで小津さんの映画を見ると、ふっと惹かれるようになっていったんです。「何だかいいな」と。映画作りの難しさしさがわかってくると、小津さんのような映画を作るのは実はとても難しいんだということがわかってきたというか。
落合:小津さんの「東京物語」が作られた1950年代に東京にやってくる老夫婦の現実と、現代の東京にやってくる老夫婦の現実は違いますよね。小津さんの頃の家族の形態は、ちょっとほつれが出てきているけど、まだしっかりしていました。でも現代は家族であり続けること自体の、困難さが社会的にもあります。
山田:「東京物語」が描いたのは、戦前から続いている東京あるいは大阪などの大都市の郊外に育まれた小市民、中産階級の生活文化です。ところが、1955年ぐらいからこの国が大きく変り出した。
落合:高度経済成長時代からバブル崩壊、そして現代と、拝金主義はそのまま残存している。政治も経済も崖っぷちの今の時代に「東京家族」を作られるほうが、はるかに靴しい社会背景があるのではないかと思うんです。
山田:東日本大震災が起こる前まで、「東京家族」のストーリーで僕が一番難しいなと思っていたのは、お父さんの最後をどうするかということでした。小津さんの時代はまだ田舎にいっぱい人がいたから、最後はお父さんが尾道でひとり暮らしになるけれども、末娘は一緒だし、隣近所とも仲良く暮している。でも、今は過疎化がすごい勢いで進んでいます。だから、お父さんの最後をどうするかは小津作品よりももっと重い課題になると思っていました。
「東京家族」は今、TOHOシネマズ甲府でやっている。見に行こうと思っている。

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