2013年9月25日水曜日

軍隊形成の方法

 
民医連医療9月号のメディアへの「眼」を紹介。
     第29回徴兵制
まさかそんなこと  国際政治学者畑田重夫
一人も死なず、一人も殺さなかった自衛隊小泉内閣時代に自衛隊がイラクへ派遣されたことは誰にとっても記憶に新しいところでしょう。あのときは憲法9条という歯止めもあり、自衛隊は「戦闘地域」へは行きませんでした。したがって、自衛隊は1人も戦死することもなく、また相手側の兵士や民間人を問わず1人も殺しませんでした。ところがイラク戟争だけで、アメリカ兵は4065人(負傷兵2万9978人)、イギリス兵176人、イタリア兵33人、ポーランド兵23人、ウクライナ兵18人、ブルガリア兵13人、スペイン兵11人というように、多国軍の人的被害の実数が記録されています。
   もし立法措置によって日本が集団的自衛権の行使が可能な国になり、自衛隊がアメリカが行う戦争に参加し、そこでたとえ1人でも戦死という情報が流れたとしたらどうなると思いますか。日本の親たちは、息子たちに、「生命が危ないから絶対に自衛隊へ入っちゃダメだよ」と言うに違いありません。それにより、自衛隊員の募集は困難を極め、定員を充足することが不可能になります。そうなれば、あとは法律的強制を加えて自衛隊員を集める以外にはないではありませんか。結局、徴兵制実施による隊員の充足必至ということになるのではないでしょうか。
    軍隊形成の2つの方法
一般に兵員を集める上では、およそ2つの途(ルートもしくはケース)があります。1つはその国の経済や社会事情が庶民にとって非常に厳しくなって、「軍隊に入りさえすればちゃんと給料ももらえるし、住居、服装、食事など一切心配ないよ」という宣伝(口コミも含む)によって兵員を集めるという方法です。いまのアメリカはその典型です。アメリカという国は貧富の格差がひどく、周知のように若者たちを中心とする99パーセントが1パーセントの富裕層に対するたたかいを展開しています。沖縄駐留の米海兵隊員にしろ、在日米軍のすべての兵たちも極貧層の出身者が圧倒的部分を占めています。
    いま一つは、かつての日本や今の韓国のように徴兵制によって兵士を集めて軍隊を形成するという方法です。参院選でたとえ改憲勢力が3分の2を占めることになったとしても、すぐに改憲発議→国民投票ということにはなりません。第一次安倍内閣時代に強行成立をみた「国民投票法」の宿題である、①最低投票率の設定、②18歳投票権の整備、③公務員労働者の活動制限、が未解決のままだからです。安倍首相は、96条改憲構想ももっていましたが、同構想は、改憲主義者からも「邪道」だと言われるほど大きな批判や抵抗を招き、全く誤算となった状態のもと、当面、過半数で決められる立法改憲に向かうのではないかと思われます。それは、とりもなおきず、現憲法のままでも、日本がアメリカと一体になって戦争ができる国になるという道をひらくことになりますので、私見によれば、前述のように徴兵制も遣い先の話ではなくなるということになるわけです。
   軍隊形成の2つの方法のうち、日本はどちらの方法をとるであろうか。私は、1つ目の方法だと考える。もう日本の若者は十分貧しくなっているから。

2013年9月17日火曜日

一滴

   山梨民医連新聞の一滴に掲載した文章を紹介する。
   NHKテレビで「28歳になりました。7年毎の記録」を録画でみた。最近のドキュメンタリーで見ごたえのあるものはほとんど夜遅い時間帯での放送が多い。この番組も夜中の12時頃であった。今年28歳になった若者の13人に、7歳、14歳、21歳の時にインタビューして将来、何になりたいかと尋ねている。そして今28歳に何をしているかを対峙させている。
   ある人は東北の農家の4代目の跡取りである。7歳の時は「お父さんの後をとってお米をつくる」と無邪気に答えている。14歳の時は、お米を作ることに悩み、21歳の時は長男のプレッシャーを感じ、そして28歳の今、農家を継がないで地元の企業に就職、派遣から漸く正社員になれたと喜んでいる。
   沖縄の女性は、7歳のとき「戦争はいやだ」と言っていた。28歳の今は、「7歳の時の純粋さがなくなって、現実が見えてきてしまって複雑」彼女の父親は、基地で整備士として働いている。沖縄の状況は現状維持か悪化するであろうと述べている。
   ある人は大学受験に失敗し、今は日航のキャビンアテンダントになり、頑張っている。日航の倒産を経験し、再建の使命感を感じて頑張っている。どの若者も、けなげに真面目に働いている様子がひしひしと伝わってくる。どの人の背景にも今の政治が反映している。この若者達の将来に幸あれと切に願う。
   他にも、一人っ子で検察官になりたかったが、コーヒーのチェーン店の店長をしている青年。伊万里焼の15代続く窯元を親子で頑張っている青年。歌舞伎俳優だが、世襲ではない父が死亡し、後をついでいる青年。瀬戸内の小島で育ち、今は四国本島で暮らしている女性は不便な島には帰りたくないと言っている。どの人もそれぞれの立場で一所懸命である。

2013年9月11日水曜日

恩師


   大学時代の恩師より、著書が届いた。大学を卒業しても、まだ気にかけてくれている。先生は、私を民医連に導いてくれた人である。挨拶とはじめにの部分を紹介する。
   謹呈
   猛暑の続いた人月し-たが、お元気でお過ごしでしょうか。すっかりご無沙汰いたしました。この度、「自分を耕せ」という本を書いてみました。内容がお粗末でお恥ずかしいのですが、日頃のご無沙汰のお詫びの気持ちでお届けしました。却ってご迷惑でしょうが、お受け取り頂けるとうれしいです。
    一部の方には近況報告という形でお伝えしましたが、私は車いす生活の一人暮らしです。八十五歳になりました。友人、仲間の好意に甘えて支えられ、感謝しています。ここまで生き長らえることが出来たことが不思議なくらいですが、生きている限りは、前向きな暮らしを続けていきたいと願っています。
   どうぞ皆さんも健康に留意され、ますますご活躍になられますよう期待申し上げます。二〇一三年九月 河合聡

  はじめに「生きるとは何だろう?」。これは、すべての人にとっての真剣な問いかけではないでしょうか。私たちは、二十歳前後の青春時代に、誰しもこの問いかけに向き合い、思い悩んだ経験があるでしょう。年老いてなお、折に触れて頭をよぎる問いかけです。この問いかけは、おそらく人類の歴史とともに始まったことでしょう。この問いかけによって、文化は生まれ受け継がれてきたのだと思います。そして、今も人生における重要な問いかけであり続けています。
   一方、「人類の歴史は大きな転換期を迎えている」という言葉を最近よく聞きます。これはどういう意味だろうかと考えます。
弱肉強食、適者生存は生物界における鉄則だと言われます。そのきびしい現実を私たちは日々目にしています。生物の一種である人類の歴史においても、長い間、民衆は弱きものとして、 一握りの権力者たちの踏み台となって、下積みの生活を強いられてきました。時には明るい明日など望みようのない辛い日々でした。ところが近年、民衆は結束によって大きな力を発揮できることを学び、歴史の表舞台に姿を現し、主役を演じ始めるようになりました。
   まだまだ萌芽とジグザグの段階に過ぎませんが、その主役を演じる民衆の目線の先には、「支え合う社会」の実現という新しい壮大な価値観の創出を目指しているように感じます。これこそ、「人類の歴史は大きな転換期を迎えている」という言葉の意味ではないでしょうか。そして、この転換を推し進めるエネルギーこそ、「個の確立」ではないかと思われます。
   こうした視点に立って、私たちが生きることの意味を改めて考え、「個の確立」という点に軸足をおいて、これまでの多くの先人たちが、この重い課題と悩みながら苦闘し、どう向き合ってきたかに学びたいというのが本書の趣旨です。
  本来ならば、教え子達が恩師を心配するのであろうが、全く逆である。本当に素晴らしい先生である。又、読み終えたら、紹介したい。

2013年9月9日月曜日

寄り添いと共感


斉藤環氏の文章の最後の部分「あわりに」を紹介する。
   おわりに
さまざまな喪失感があるなかでも、いま私がもっとも懸念しているのは、福島県の人々のそれだ。原発事故によって医療資源が不足しつつあることももちろん問題だ。しかしそれ以上に、いまや「放射能」が人々の喪失感を宙吊りにしているように思われるからだ。
「宙吊り」とは、どういうことだろうか。
   福島では、原発周辺の住民は、たとえ土地や家が無傷であっても避難を強いられた。眼に見えない放射性物質は、人間の住めない広大な土地をもたらした。それは果たして決定的に失われたのか。あるいは除染を繰り返すことで、いつかは取り戻すことができるのか、いまだそれすらもはっきりしない。とどまるべきか避難すべきか、故郷を捨てるべきか帰るべきか、その迷いと葛藤が多大なストレスをもたらしている。この種のストレスは、日本人がこれまで経験したことのないタイプの「喪失感」に由来する。
   いわゆる低線量被曝の問題も、人々のこころを迷わせる。わずかな放射線も危険であるとして、福島にとどまり続ける当事者を批判する人。低線量被曝が人体に有害であるという医学的根拠はないと安全性を強調して、御用学者と叩かれる人。いずれも善意であるがゆえに対話にならず、感情的な対立だけが深まっている。ここにも当事者を置き去りにした、不毛な言語ゲームが繰り返されている。
   しかし、あえて言えば、いまなされるべきは当事者の啓蒙や説得などではない。
   被災者の喪失感に照準し、当事者の主体性を最大限に尊重すること。相手に寄り添い共感する姿勢のもとで、対話の試みを続けること。われわれはあくまでも、福島から学ぶ立場であることを忘れないこと。
   私もまた、学ぶものの一人として、当事者の声と喪失感情のゆくえを見守っていきたい。 
   我々に、今できることはなにか。被災者の心に寄り添い、現地に足を運び、忘れないことではなかろうか。

2013年9月7日土曜日

こころの喪失感


雑誌KOTOBAの特集で「死を想う」の中で、精神科医の斉藤環氏は以下の文章を記している。
愛する人を失うということ
震災がもたらした、こころの喪失感
   かけがえのない人を失ったとき、人は長期にわたり想像を絶する悲嘆の日々を生きる。自身も医療ボランティアとして被災者たちの「こころのケア」にあたった精神科医は、かつて日本人が経験したことのない「喪失感」に被災者たちが苦悩しているという。
斎藤環 
   東日本大震災から一年が過ぎた。かつてないほど長一年だったと感じているのは、私一人ではないだろう。
   個人的には「震災前」と「震災後」で、はっきりと時間が分断された思いがある。とりわけ震災以前の記憶は、決定的に失われた、彼方の記憶という色調をうっすらと帯びはじめている。私自身の被災はごく軽微なものだったが、それでもそうした感覚があるのだ。実際に家を失い、家族や友人を失った人々の思いはいかばかりだっただろうか。 
   災害は、人のこころを深く傷つける。当たり前、と思われるだろうか。しかし、この事実が広く認識されるようになったのは、ごく最近のことなのだ。
   一九九五年の阪神・淡路大震災以降、被災した人たちの「こころのケア」が注目されるようになった。「トラウマ(心的外傷)」や「PTSD (心的外傷後ストレス障害)」などの言葉が一般に語られるようになり、災害が起きると現地に「こころのケアチーム」が派遣される機会も増えた。
   東日本大震災においても、震災発生直後から全国の自治体や大学、学会などが精神科医を中心とする「こころのケアチーム」を被災地に派遣し、支援にあたっている。今回の震災で、こぅした対応がかなり迅速になされた点は、わが国の「こころのケア」の進歩のあかしとして、高く評価したい。
   ところで、現地入りした多くの「こころのケアチーム」はPTSDを中心とするこころの問題が多発することを予想して支援の計画を立てていた。しかし実際に行ってみると、現地ではそうした訴えがほとんど聞かれなかったという。
   宮城県の被災地を訪問した臨床心理士の報告によれば、避難所を訪問しても「こころのケアチーム」であるとわかると、「私には関係ない」と言わんばかりの態度をとる人が多かったとのことだ。この点は私自身も、昨年七月に医療ボランティアで岩手の被災地に行ったおりに、同じような印象を持った。
   これはどういうことか。噂に聞くように、これが「東北人のがまん強さ」というものだろうか。私自身、東北出身でありながら、いまひとつよくわからなかった。
   確かに多くの被災者は、辛さを簡単に口にしない。しばしば開かれたのは「もっと大変な人がいるから」という言葉だ。これらの言葉はがまん強さというよりも、辛さや苦しさを自分だけ訴えるのは憚れるという、周囲への配慮に思えてならなかった。
   だから私は、避難所で話を開く時、血圧計と聴診器を持参した。「なにかお困りのことは?」と問われても「大丈夫」としか答えない人たちも、「血圧測りませんか?」と尋ねればだいたい応じてくれた。
ゆっくり血圧を測りながら話を開いていくと、避難所の生活の大変さや苦労について少しずつ語りはじめる人が結構いる。話し終わって「また来てくれるんですか?」と聞かれるのはつらかったが、これでわかった。確かにみんながまんはしているが、本当に「大丈夫」なわけではない。被災して平気なわけがないのだ。ただ、表し方が違うだけなのだ。
   これは大きくみれば“文化の違い”なのかもしれない。たとえば同じ戦争体験でも、アメリカ軍の兵士のほうがイギリス軍の兵士よりもPTSDになりやすいという研究がある。辛い経験をどんなふうに受けとめ、それをどう表現するかということは、文化や風土に深く根ざした問題でもあるのだ。
   喪失には量的喪失と、質的喪失があると言う。「量」とは物、「質」とはこころの問題であろう。

2013年9月5日木曜日

かわいいカルチャー


「少女たちの昭和」から、興味深い部分を紹介。

  日本の教育は厳しい競争主義で子供たちを締めつけている。個性を認めず、長所を伸ばすのではない、減点主義のため、自己肯定感が持てず、劣等感を持ちやすい。いきおい自分より劣るもの、弱いものへのいじめとなる。友達は競争相手となれば友情も育たない。
   また学校を卒業して出て行く社会は、金儲けが第一と、公害も環境破壊も、義理も人情も、徳も正義も蹴散らして、弱者を犠牲にする世界である。とくに平成二年(一九九○)のバブル崩壊、平成一二年(二〇〇〇)に始まった構造改革は貧富の差を大きくした。勝ち組、負け組の格差社会を生み、ハケン、フリーター、ワーキングプアー、生活保護世帯が激増し、ホームレスも続出している。平成二二年(二〇一〇)の時点で非正規社員は労働者全体の三八・七%に達し(厚生労働省「就業形態の多様化に関する総合実態調査」)、正規社員の労働条件も急速に悪化している。正規社員であってもいつリストラされるかわからない状態である。
   そうしたなかで自信がなく自立していなければ、簡単に周囲に巻き込まれてしまうだろう。自己責任論をやすやすと受け入れ、抗議したり、立ち向かおうとしない。ひ弱で傷つくことがこわいため、決して自分を攻撃してこない、優しく慰めてくれる「かわいいカルチャー」に逃げ込んでいくことになる。「かわいいカルチャー」が成人男性にまで浸透したのは、日本社会が急速に瓦解していった一九八〇年代後半から一九九〇年代と重なっているのは不思議でない。
   しかしこうした情況に対し、私たち日本人はなぜ声を上げてこなかったのだろう。連帯して抵抗してこなかったのだろう。なされるがままに陥っている。経済のグローバル化で不況になっているのは先進資本主義国はどこも同じである。しかし北欧やフランス、ドイツなどでは人々の運動と団結によって、権利を守るための、さまざまなセーフティーネットができあがっている。教育の目的も違う。 
   これについて述べる余裕はないが、生きる権利が保証されることと個人の尊厳を尊重することは民主主義の基礎である。その意味では日本では民主主義が育っていないといえる。ムラ社会、組織人間で、個人が尊重されず、いまもってお上まかせで権力に弱く社会は自分たちでつくっていくものだと思っている人が少ない。
   もちろんこれが日本のすべてではないが、「かわいいカルチャー」現象にはそうした日本社会の病理が集約的に現れているのではないか。「かわいいカルチャー」を世界に発信するのもいいが、背景にある歪んだ日本社会を変える努力をするのが先ではないだろうか。
   「かわいいカルチャー」現象なるものをよく理解していないが、その背景に日本社会の病理が集約的に現れているとう指摘はするどい。

2013年9月3日火曜日

大人の少女化


「少女たちの昭和」(小泉和子)「河出書房新社」という本を読んだ。著者の小泉さんは昭和の8年生まれである。和子という名前は戦前、戦後で一番多い女性の名前である。まさにこの本を書くのにふさわしい名前である。本の中で、興味ある部分の一部を紹介する。
大人の少女化
   一言でいえば大人が大人になってないということであろう。「三十を過ぎた、いい大人がなんで(ぼく)なんだ!?」というような子供っぽい言動、信じられないような幼稚な犯罪を犯す高級官僚、自分が遊ぶため育児放棄する母親をはじめとして、自己制御がきかない自己中心の未熟な大人が多くなっているのは周知のとおりだが、こうした幼時退行現象の一つに「少女化」があるのではないか。
   大塚の「少女民俗学」によると、「かわいいカルチャー」が顕在化するのは一九七〇年代後半で、それまで日陰の存在だった少女文化が目に見える形で一つのマ-ケッーを形成しはじめたという。これを「少女文化」のビッグ・バンだといっている。
   最初はもっぱら少女が対象であったが、やがて少年から青年へとひろがり、少女たちの母親世代を巻き込み、八〇年代には父親世代である「男性社会」をも侵食していった。
   ただ受け入れ方は男性、女性まったく同じではなく男性の場合はロリコンやエロかわいいといった面に興味が強いという。しかし大塚によると、メルヘン・ファンタジー・無垢・幼さ・弱々しさ・自己憐憫・キュート ・オカルト指向などといった感性は男女共通していて、この点が「かわいいカルチャー」受容におけるきわだつ特徴だという。いずれもソフトで傷つけられることのない、優しい世界である。
   たとえば成人男性向けコミック誌に「動物マンガ」という分野があり、ネコ・シロクマ・ゴマフアザラシといった(かわいい)キャラクターが氾濫しているという。なかで最も読者の共感を集めているのが『ほのぼの』というのに出てくるいじめられっ子のシマリスだそうである。(かわいくて)(かわいそう)な存在に同化しているわけで、まさに(少女化)だという。
    また「ポエム」という「少女の感傷や心象風景をストレートに、かつたどたどしく描いた日記のような詩に近い創作文」があるという。少女マンガ誌から始まったもので、具体性を排した虚構の風景だが、これらがいまや大人にもひろがっていて、その意味では『ノルウェーの森』の村上春樹も(ポエム)だという。
    なぜこういうことになったかについては、大塚は日本人全体がかつての「少女」と同じ状態になったためだといっている。すなわち非生産者となり、外部からもたらされる「モノ」を消費するだけの存在になったこと、上級学校に進学していること、家庭と学校によって囲い込まれていることもそうである。
    まさに、現在の日本は子どもを大人に育てない社会になっていると思う。自分の子どもの事を考えてみて、まさにその通りだと感じた。