2013年9月5日木曜日

かわいいカルチャー


「少女たちの昭和」から、興味深い部分を紹介。

  日本の教育は厳しい競争主義で子供たちを締めつけている。個性を認めず、長所を伸ばすのではない、減点主義のため、自己肯定感が持てず、劣等感を持ちやすい。いきおい自分より劣るもの、弱いものへのいじめとなる。友達は競争相手となれば友情も育たない。
   また学校を卒業して出て行く社会は、金儲けが第一と、公害も環境破壊も、義理も人情も、徳も正義も蹴散らして、弱者を犠牲にする世界である。とくに平成二年(一九九○)のバブル崩壊、平成一二年(二〇〇〇)に始まった構造改革は貧富の差を大きくした。勝ち組、負け組の格差社会を生み、ハケン、フリーター、ワーキングプアー、生活保護世帯が激増し、ホームレスも続出している。平成二二年(二〇一〇)の時点で非正規社員は労働者全体の三八・七%に達し(厚生労働省「就業形態の多様化に関する総合実態調査」)、正規社員の労働条件も急速に悪化している。正規社員であってもいつリストラされるかわからない状態である。
   そうしたなかで自信がなく自立していなければ、簡単に周囲に巻き込まれてしまうだろう。自己責任論をやすやすと受け入れ、抗議したり、立ち向かおうとしない。ひ弱で傷つくことがこわいため、決して自分を攻撃してこない、優しく慰めてくれる「かわいいカルチャー」に逃げ込んでいくことになる。「かわいいカルチャー」が成人男性にまで浸透したのは、日本社会が急速に瓦解していった一九八〇年代後半から一九九〇年代と重なっているのは不思議でない。
   しかしこうした情況に対し、私たち日本人はなぜ声を上げてこなかったのだろう。連帯して抵抗してこなかったのだろう。なされるがままに陥っている。経済のグローバル化で不況になっているのは先進資本主義国はどこも同じである。しかし北欧やフランス、ドイツなどでは人々の運動と団結によって、権利を守るための、さまざまなセーフティーネットができあがっている。教育の目的も違う。 
   これについて述べる余裕はないが、生きる権利が保証されることと個人の尊厳を尊重することは民主主義の基礎である。その意味では日本では民主主義が育っていないといえる。ムラ社会、組織人間で、個人が尊重されず、いまもってお上まかせで権力に弱く社会は自分たちでつくっていくものだと思っている人が少ない。
   もちろんこれが日本のすべてではないが、「かわいいカルチャー」現象にはそうした日本社会の病理が集約的に現れているのではないか。「かわいいカルチャー」を世界に発信するのもいいが、背景にある歪んだ日本社会を変える努力をするのが先ではないだろうか。
   「かわいいカルチャー」現象なるものをよく理解していないが、その背景に日本社会の病理が集約的に現れているとう指摘はするどい。

0 件のコメント:

コメントを投稿