2013年9月11日水曜日
恩師
大学時代の恩師より、著書が届いた。大学を卒業しても、まだ気にかけてくれている。先生は、私を民医連に導いてくれた人である。挨拶とはじめにの部分を紹介する。
謹呈
猛暑の続いた人月し-たが、お元気でお過ごしでしょうか。すっかりご無沙汰いたしました。この度、「自分を耕せ」という本を書いてみました。内容がお粗末でお恥ずかしいのですが、日頃のご無沙汰のお詫びの気持ちでお届けしました。却ってご迷惑でしょうが、お受け取り頂けるとうれしいです。
一部の方には近況報告という形でお伝えしましたが、私は車いす生活の一人暮らしです。八十五歳になりました。友人、仲間の好意に甘えて支えられ、感謝しています。ここまで生き長らえることが出来たことが不思議なくらいですが、生きている限りは、前向きな暮らしを続けていきたいと願っています。
どうぞ皆さんも健康に留意され、ますますご活躍になられますよう期待申し上げます。二〇一三年九月 河合聡
はじめに「生きるとは何だろう?」。これは、すべての人にとっての真剣な問いかけではないでしょうか。私たちは、二十歳前後の青春時代に、誰しもこの問いかけに向き合い、思い悩んだ経験があるでしょう。年老いてなお、折に触れて頭をよぎる問いかけです。この問いかけは、おそらく人類の歴史とともに始まったことでしょう。この問いかけによって、文化は生まれ受け継がれてきたのだと思います。そして、今も人生における重要な問いかけであり続けています。
一方、「人類の歴史は大きな転換期を迎えている」という言葉を最近よく聞きます。これはどういう意味だろうかと考えます。
弱肉強食、適者生存は生物界における鉄則だと言われます。そのきびしい現実を私たちは日々目にしています。生物の一種である人類の歴史においても、長い間、民衆は弱きものとして、 一握りの権力者たちの踏み台となって、下積みの生活を強いられてきました。時には明るい明日など望みようのない辛い日々でした。ところが近年、民衆は結束によって大きな力を発揮できることを学び、歴史の表舞台に姿を現し、主役を演じ始めるようになりました。
まだまだ萌芽とジグザグの段階に過ぎませんが、その主役を演じる民衆の目線の先には、「支え合う社会」の実現という新しい壮大な価値観の創出を目指しているように感じます。これこそ、「人類の歴史は大きな転換期を迎えている」という言葉の意味ではないでしょうか。そして、この転換を推し進めるエネルギーこそ、「個の確立」ではないかと思われます。
こうした視点に立って、私たちが生きることの意味を改めて考え、「個の確立」という点に軸足をおいて、これまでの多くの先人たちが、この重い課題と悩みながら苦闘し、どう向き合ってきたかに学びたいというのが本書の趣旨です。
本来ならば、教え子達が恩師を心配するのであろうが、全く逆である。本当に素晴らしい先生である。又、読み終えたら、紹介したい。
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