2013年9月7日土曜日

こころの喪失感


雑誌KOTOBAの特集で「死を想う」の中で、精神科医の斉藤環氏は以下の文章を記している。
愛する人を失うということ
震災がもたらした、こころの喪失感
   かけがえのない人を失ったとき、人は長期にわたり想像を絶する悲嘆の日々を生きる。自身も医療ボランティアとして被災者たちの「こころのケア」にあたった精神科医は、かつて日本人が経験したことのない「喪失感」に被災者たちが苦悩しているという。
斎藤環 
   東日本大震災から一年が過ぎた。かつてないほど長一年だったと感じているのは、私一人ではないだろう。
   個人的には「震災前」と「震災後」で、はっきりと時間が分断された思いがある。とりわけ震災以前の記憶は、決定的に失われた、彼方の記憶という色調をうっすらと帯びはじめている。私自身の被災はごく軽微なものだったが、それでもそうした感覚があるのだ。実際に家を失い、家族や友人を失った人々の思いはいかばかりだっただろうか。 
   災害は、人のこころを深く傷つける。当たり前、と思われるだろうか。しかし、この事実が広く認識されるようになったのは、ごく最近のことなのだ。
   一九九五年の阪神・淡路大震災以降、被災した人たちの「こころのケア」が注目されるようになった。「トラウマ(心的外傷)」や「PTSD (心的外傷後ストレス障害)」などの言葉が一般に語られるようになり、災害が起きると現地に「こころのケアチーム」が派遣される機会も増えた。
   東日本大震災においても、震災発生直後から全国の自治体や大学、学会などが精神科医を中心とする「こころのケアチーム」を被災地に派遣し、支援にあたっている。今回の震災で、こぅした対応がかなり迅速になされた点は、わが国の「こころのケア」の進歩のあかしとして、高く評価したい。
   ところで、現地入りした多くの「こころのケアチーム」はPTSDを中心とするこころの問題が多発することを予想して支援の計画を立てていた。しかし実際に行ってみると、現地ではそうした訴えがほとんど聞かれなかったという。
   宮城県の被災地を訪問した臨床心理士の報告によれば、避難所を訪問しても「こころのケアチーム」であるとわかると、「私には関係ない」と言わんばかりの態度をとる人が多かったとのことだ。この点は私自身も、昨年七月に医療ボランティアで岩手の被災地に行ったおりに、同じような印象を持った。
   これはどういうことか。噂に聞くように、これが「東北人のがまん強さ」というものだろうか。私自身、東北出身でありながら、いまひとつよくわからなかった。
   確かに多くの被災者は、辛さを簡単に口にしない。しばしば開かれたのは「もっと大変な人がいるから」という言葉だ。これらの言葉はがまん強さというよりも、辛さや苦しさを自分だけ訴えるのは憚れるという、周囲への配慮に思えてならなかった。
   だから私は、避難所で話を開く時、血圧計と聴診器を持参した。「なにかお困りのことは?」と問われても「大丈夫」としか答えない人たちも、「血圧測りませんか?」と尋ねればだいたい応じてくれた。
ゆっくり血圧を測りながら話を開いていくと、避難所の生活の大変さや苦労について少しずつ語りはじめる人が結構いる。話し終わって「また来てくれるんですか?」と聞かれるのはつらかったが、これでわかった。確かにみんながまんはしているが、本当に「大丈夫」なわけではない。被災して平気なわけがないのだ。ただ、表し方が違うだけなのだ。
   これは大きくみれば“文化の違い”なのかもしれない。たとえば同じ戦争体験でも、アメリカ軍の兵士のほうがイギリス軍の兵士よりもPTSDになりやすいという研究がある。辛い経験をどんなふうに受けとめ、それをどう表現するかということは、文化や風土に深く根ざした問題でもあるのだ。
   喪失には量的喪失と、質的喪失があると言う。「量」とは物、「質」とはこころの問題であろう。

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