2013年12月10日火曜日

文学の中の鉄道


「文学の中の鉄道」(鉄道ジャーナル社)原口隆行著 を読む。その中の一遍、夏目漱石の「草枕」に出てくる鉄道場面を紹介し、コメントしている。少々長いが、一部紹介。

草枕    夏目漱石

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば、角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
この有名な書き出しで始まる『草枕』は、明治三十九年(一九〇六)、雑誌「新小説」の九月号に掲載された。
この小説の主題は、この書き出しに集約されている。つまり、人間が知恵を働かせようと思うと事が荒立ってしまう、そして情に抗おうとすると葬り去られかねない。いやはや、住みにくい世の中だこと・・・ 。
「余」は三十歳、東京に住む洋画の画工である。都会での人間関係に倦み、しばしの間でいいから「非人情」の境地に浸りたいと考えて遠出の旅に出た。
「余」は峠の茶屋で一休みし、そこのお婆さんと源兵衛という馬子から温泉宿・志保田の娘の噂話などを聞かされた後、山里に降りてゆく。
落ち着いた先は那古井という、かつて一度泊まったことのある海辺の集落だった。「余」は志保田の離れの一室で寝泊りすることになる。
那古井には、東京にはない時間が流れていた。時は春。いい時節を迎えて桃源郷ともいえる世界がそこにはあった。これこそ、「余」が求める非人情の世界である。だが、非人情では絵は描けない。だから、「余」の筆は重い。
さて、ここで那美さんという、嫁いだ先から出戻り、今は実家の志保田で奔放に暮らしている女性が「余」のまわりに出没するようになる。那美さんは、相愛の男と離され、金持ちに嫁がされた経験があるからか、欠片も人情がない。つまり、非人情の人である。 
「余」はここに逗留する間に、宿の隠居や那美さんの従兄弟の久一、大徹という和尚と近づきになる。これらの人にもどこか人情を超越した趣がある。
ある日、写生に出た草原で「余」は那美さんがいかにも生活にくたびれたといった風体の男と話しているのを目撃する。那美さんはこの男に財布を渡す。男は那美さんと強引に離縁された夫で、落ちぶれて満洲に赴くところだった。
大団円は、久一が日露戦争に従軍することになり、それを見送るために久一、隠居と那美さん、近くに住む那美さんの兄、世話を焼く源兵衛、それに「余」が川舟に乗って「吉田の停車場」まで向かう場面。
いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と言う。汽車ほどこう二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百という人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると言う。余は積み込まれると言う。人は汽車で行くと言う。余は運搬されると言う。汽車ほど個性を軽蔑したものはない。
文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。(中略)余は汽車の猛烈に、見界なく、すべての人を貨物同様に心得て走るさまを見るたびに、客車のうちに閉じ寵められたる個人と、個人の個性に寸毫(すんごう)の注意をだに払わざるこの鉄車とを比較して、― あぶない、あぶない。気つを付けねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝かれるくらい充満している。おさき真闇に盲動する汽車はあぶない標本の一つである。
引用が長引いたが、これは駅前の茶店で考えた「余」の「汽車論」である。汽車に象徴される二十世紀文明が、この警句の通りに推移したかどうかはともかく、人間の個性をある面で均質化してしまったことは一面の真実だろう。軟石の慧眼には脱帽である。
100年以上前に発刊された小説であるが、漱石の小説は現代にも通じるものがある。通学時代、日本文学全集を乱読したが、鉄道との関係で読んだことはない。漱石の言っている「汽車にのるのではなく、積み込まれる」という表現は面白い。私などは東京の「山手線」を思い出してしまう。(黒字は小説の原文)

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