2013年12月17日火曜日

心のサプリ


毎日新聞の海原純子氏の「新・心のサプリ」は以前にも紹介したことがある。今回は大切な人を亡くした人との接し方についてのエッセイである。
大切な人を亡くした人との接し方。
グリーフケアについての著書のあるドイツ生まれの哲学博士で上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケン氏は、著書の中で、大切な人を亡くし悲しんでいる方にかえってコミュニケーションの妨げとなる言葉の実例をあげている。
まず第一は「がんばろう」。1995年の阪神淡路大震災のときには肉親を失った方はそう言われるのを一番嫌なことにあげている。そしてデーケン氏は、これは世界中どこでも同じとつけ加えている。
第二は「泣かないで」「泣いてはダメ」ということば。人は泣くことで感情を表現し心を回復するきっかけとするもの。泣かないで、ではなく、安心して涙を流せる環境を作ることが大事といえるだろう。
第三は「早く元気になってね」。早く元気になりたいのは本人もよくわかっている、でもそんなことはできない。こうした葛藤に気づくことが大切だ。
第四に、「あなただけじゃない」という他人との比較。つらさは他人と比較できるようなものではない。
第五に「時がすべてを癒やす」という言葉。これも悲しみの中にいる人にとっては不快だとされる。いくら時がたってもすべてを癒やすとは限らない。この他デーケン氏は「もう立ち直れた?」や「私はあなたの苦しみがよくわかる」などをコミュニケ-ショ.ンの妨げとなる言葉としてあげている。
言葉はたしかに大切だ。しかし大事な人を亡くした方に接するとき必要なのは、「言葉を超えるコミュニケーション」ではないかと思う。つまり、ただそばにいて、つらい方が安心して泣ける環境を作り、共に泣き悲しみをわけ合う、そうしたコミュニケーションが最も必要なのだと思う。
さて、デーケン氏は死についてヨーロッパの祈りを紹介している。「変えられないことはそのまま受け入れる平静さと、変えられることはすぐそれを行う勇気を与えてください」。亡くした人の死を悲しんで過ごす日から一歩ふみ出す力を願う祈りだという。
そしてその一歩をふみ出すにはそばにいて共に泣きつらさをわけ合える人の存在が大切なのだと思う。(日本医大特任教授)\
確か、東日本大震災の時、テレビでやたら「頑張ろう日本」と言っていたのに違和感を覚えていたのを思い出した。
大切なのは、自分が逆の立場で大切な人を亡くしたらどう思うだろうということを、真剣に考えることだと思う。そうすれば自ずと接し方がわかってくると思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿