2013年12月24日火曜日

グローバル平和主義


「集団的自衛権の深層」という本を以前紹介したが、著者は最後の方で、以下のことを言っている。
集団的自衛権が戦後政治で果たしてきた否定的事例をこれだけ紹介したあと、「対案」など問題外だろうと思われる方が多いかもしれない。ただただ批判し、集団的自衛権はタメだといぅ結論を導くのが普通のやり方だと、ほとんどの方はいわれると思う。
しかし、集団的自衛権を行使できるようにするのだという自民党が選挙で国民の支持を得るからには、ただ批判するだけでは済まないと感じる。やはり、目の前の緊迫するアジア情勢のなかで、アメリカが何らかの役割を果たすべきなのは当然であって、そのアメリカに協力するのも当たり前だと考える人びとは多いのである。
緊迫する情勢といっても、日本が武力攻撃を受けるような事態での回答は明白である。確固として自衛権を発動するが、日常的には、憲法九条の「制約」を「優位性」に変えて、アジア諸国との協調を成し遂げる戦略である。筆者はそれを憲法「九条の軍事戦略」(平凡社新書)で描いた。
一方、いま集団的自衛権をめぐって焦点になっているのは、日本への武力攻撃とは直接には関係しない世界の紛争をどう捉え日本は何をするのかである。日本の国際貢献という分野の問題でもある。
日本が侵略されない場合は無関心ということでは、世界からも信頼されない。自民党が支持をひろげる背景にあるのは、軍事的な分野においても、日本が世界に貢献するような国であってほしいという世論があるからなのだと思う。そして、その期待を背にして、自民党は集団的自衛権の行使という結論を導きだしたのである。
では、結論が政府・自民党が選択したものであってはならないとすれば、その回答はどこにあるのか。
アメリカだけ助けるのではなく、世界全体の平和に貢献することこそ、これからの日本の生きる道である。「二国平和主義」から「グローバル平和主義」へ、である。

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