2014年7月11日金曜日

想定外

 
 私は、新聞を読むときは、なるべく小さな記事を見逃さないようにしている。小さな記事程重要な内容が多いからだ。メディアの提供側は、読ませたい記事は大きく、読ませたくない記事は小さくするものだ。テレビでも、いい番組は夜の遅い時間帯が多い。
 そんな眼で新聞を読むと面白いと思う。
 今回、紹介するのは、毎日新聞の小さなコラムである。
発信箱
青野由利専門編集委員
首相は語らない
もし、大統領と同じエレベーターに乗り合わせたら。そんな頭の体操を聞いたことがある。時間が短いので話せるのは一言だけ。では、乗り合わせたのが安倍晋三首相だったら?
ここはやはり、「集団的自衛権の憲法解釈変更に伴うリスクについて、正面から答えないのはなぜ」と尋ねたい。たとえば、閣議決定後の記者会見。「(自衛隊員らの)犠牲を伴うかもしれないが、国民に必要な覚悟は?」。
AP通信記者の質問への答えは、どの部分が回答なのか、さっぱりわからないまま。政府の問答集でも「自衛隊員が海外で人を殺し、殺されることになるのでは?」という問いの答えが「自衛隊の任務は(中略)我が国と国民を守ることです」。まるで禅問答だ。 
他国を刺激し緊張感を高めることも、「平和国家」日本への信頼を失うリスクもある。なのにプラス面しか語らない。そんな「リスク隠し」を見ていると、原発安全神話が頭をかすめる。
原発も、本来は持つことのメリットと事故の危険性を国民によく説明した上ではかりにかけ、対策を打つ必要があった。にもかかわらず、リスクに日をつぶり、過酷事故は起きないことにしていた。その結果があの惨事だ。再稼働に向けても「世界一厳しい基準」という楽観的な言葉でリスクをあいまいにしている。特段の根拠も示さず「日本が再び戦争をする国になることはあり得ない」と断じる楽観性と通じる部分がある。
この先もリスクを語らないまま、解釈改憲の大きな代償を払うことになった時、安倍首相は何と言うのか。思わず、「想定外」という言葉が浮かぶのが恐ろしい。
なんとも恐ろしい話である。

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