2014年7月9日水曜日

似て非なる日中の文化


毎日新聞の小さなコラムに「海外からの発信箱」がある。79日のコラムは
似て非なる「日中の文化」と題して 李薇 中国社会科学院日本研究所長が書いている。一部紹介する。
中国と日本は、似ているようで実は似ておらず、近いようで遠い。共に漢字を用い、文化の表向きの部分は似ているため、中国人や日本人は一般的に「通じ合える」と考え、自分たちと同じように行動し、考えることを当たり前だと思ってしまいがちだ。実際には、考え方や文化の深いところではかなり異なっている。中国語と日本語は文法が違うのもその表れだ。このような事情の認識不足から、双方の心理に多くの疑問や不信感が存在している。相手の国の真の姿をはっきり理解するのは実は相当難しい。両国民の考え方の違いを見直すことが、相互理解を深める前提だと思う。
このような相違は、両国の学者による学術討論の場でも表れる。日本側の学者は、中国側の学者について「問題意識が広すぎて具体的な問題に取り組まない」と感じ、中国側の学者は、日本側の学者について「細かいことにこだわりすぎて問題の本質を軽視している」と受け止める。しかし別の見方をすれば、違いに注目することは相互の改善点を見直す好機にもなり得る。
互いの違いを見いだし、相手の真の姿を知ろうと努力することは、認識不足や誤解、緊張の高まりを防ぐことにつながる。両国でこうした取り組みはまだまだ不十分だと私は感じている。中国と日本は数千年の往来の歴史の中で、敵でもあり、友人でもあった。両国関係がますます難しくなる中、冷静に相手を理解し、違いを見いだし、地道に対話を続けることが、共通点を導き、安定した友好関係を築くことにつながると信じている。
現在の日中関係を考えるとき、中国の人が書いているこの中身を改めて日本政府に届けたいと思う。違いを認めたうえでの粘り強い外交を望みたい。

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