2014年9月18日木曜日

原子力発電は止められるか


以前、紹介した「人にはどれだけの物が必要か」という本に「原子力発電は止められるか」という部分がある。興味深いので紹介する。
原子力発電は止められるか
地球環境保全の見地だけから言えば、水のもつ位置のエネルギーのみを利用する水力発電は、現在のところ環境に対する負荷が一番小さくその意味で最も好ましい発電方式と言えよう。だが国土の狭いわが国では、現在以上に水力発電を増強することは、ダムを建設する適地が最早ないという理由で望み薄である。
重油などを燃やす火力発電所は、日本では世界で最も優れた脱煙脱硫装置を備え、また排熱の有効利用なども進んでいて効率が極めて高い。しかしそれでも重油が燃焼する際に排出される膨大な量の二酸化炭素(炭酸ガス)ばかりはどうにもならない。これが地球温暖化の大きな要因となるわけだ。
この点で優れているのは、二酸化炭素を全く排出しない原子力発電であるが、これはこれで万一の事故の場合の深刻な被害を考えると、手放しで賛成できるものではない。殊に日本は世界で最初に原爆の被害を受けた国であるだけに、国内に石油がない以上原子力に頼る他ないと割切って、フランスがしているように全電力使用量の七十パーセント以上も原子力発電に依存するようなわけにいかないのは当然であろう。
さて地球の環境に悪影響を及ぼし、全生態系の安定を崩すような行為は、たとえそれが経済的に引き合うものであっても、また私たちに快適さをもたらすものであっても、可能な限り抑制すべきだという地救()原理の立場から言えば、いまの日本人ぜいたくの電気の使い方は、最早賛沢を通り越して犯罪的と形容せざるを得ないと思う。
かく言う私も必要な電気は使いたいし、本を読む時など或る程度の明るさがなければ困る。しかし最近公園や商店街などでよく見かける屋外照明具の、上向きにつけた水銀燈の本来ならば反射笠のあるべきところが、素通しのガラスになっているものなど、光の大半が路面ではなく空を照しているのだから、電気の無駄遣い以外の何物でもないと思う。
本当に必要な電気だけを使うように心掛けるという意味では、ネオンサインを始めとする各種の広告燈のたぐい、そして近年流行しだした建築物のライアトップなども、効果の少なくなる深夜には消燈すべきだと思う。また最近各地のガソリンスタンドが、目も眩むほど明るい派手な色の電燈を、昼間から競ってつけ出した。
私はこのような電力浪費の流行を見るにつけ、原子力発電の危険を指摘し、ちょっとした装置の故障が発表されるたびに、「ホレ見ろ、言わんこっちゃない」といった第三者的な調子で大々的に報道する日本のジャーナリズムの姿勢に、大きな疑問と不満を感じている。
たしかに私も原子力発電は恐しい危険を学んでいると思う。だからこそ原子力発電をしないで済むよう、不要不急の電力の消費を極力抑える努力をすべきなのである。新聞やテレビなどはむしろ常々この点を繰返し強調し、明らかに電力の浪費と思われる事例を指摘し、自粛を求める論陣を張るべきではないだろうか。
私も著者の言う通りだと思う。24時間煌々と電気をつける社会からは、節電という発想は出てこない。身近なところからの節電に心がけたい。

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