2014年9月22日月曜日

迦陵頻伽(かりょうびんが)


石牟礼美智子・米良美一共著の「母」なる本を読んだ。どういう取り合わせかと思ったが、読みおわったら成程となった。同じ九州の生まれ(熊本と宮崎)
 方言も近い。生家が同じ「石屋」。石牟礼道子さんが、米良さんのことを書いている部分を紹介。
迦陵頻伽(かりょうびんが)の声  石牟礼道子
苦労人である。初々しい見かけの人なのに、とても三十代後半とは思えない人生の見方。芸術家といえば、世間とはまるで無縁の人を思い浮かべるけれども、この人は人生の達人のような哲学を持っていた。
生まれついての難病で、ご両親は余程に苦労をされたらしい。九州山地の殿様の血筋でありながら、ご両親は土方人夫をしてこの類まれな少年を育てられたと聴く。土方人夫といえばわたしの家も同じである。
その妙なる歌を真近にききながら思っていた。原初の頃、生類たち、つまり草の祖(おやたちが夢みていた美なるものには、自ずから定まった色というものがあったに違いない。野山には、苔の花の類から山芍薬の類に至るまで、千草百草の花たちが四季折々、全霊をこめて咲いていただろう。その歌皇戸にすれば、迦陵頻伽の声になるのではないか。
わずか三歳の男の子が、「岸壁の母」を歌って、年寄りたちが涙を流し,おひねりの「お花」を投げてよこした、という感動的な情景に、わたしも立ち会いたかった。いたいけな子がどんな声で歌ったのか、年寄りたちが泣いたと言うから余程に深い魂の声であったろう。
後年、治療不可能と思えるほどの難病にかかる運命を背負いながら、あの世とこの世を行き来する魂が、人間の運命をけなげに歌いきってみせるその情景は、一服の聖画である。長じて今、目の前にいる現実の米良さんは声だけでなく、肌のきれいな青年だった。宮崎弁を話す時のこの人は、実に親しみ深い。
九州弁の中でも、そのイントネーションといい、言い回しといい、私は昔から宮崎弁が大好きである。お祖父様が石屋さんである、というのも、我が家が石屋であったので、特に親しみを感じてしまった。
米良さんの声は、カウンターテナーと呼ばれているが、一メートルぐらい目の前で歌う米良さんを見ながら、仏教説話でいう迦陵頻伽の声ではないかと思っていた。上半身は仏、下半身は鳥で、この世のものとは思えない声だそうだ。じかに話を聞いていて、西洋の天使よりも、迦陵頻伽と言い直したほうが、私にはしっくりする。
米良美一の名前は知っていたが、詳しくは知らなかった。見た目とは違うしっかりした人である。

 

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