2011年7月6日水曜日

希望的観測という病


サンデー毎日の717日号に「日本にとりつく希望的観測という病」というタイトルでの記事が載っている。興味ある内容なので、長くなりますが概要を以下に記します。

兵庫県こころのケアセンター参与で精神科医の中井久夫氏は阪神・淡路大震災で精神科救急のコーディネートに当たった。東日本大震災後、中井氏の手記を再び多くの人が手にとったが、中井氏自身は経験を法則化して当てはめることに警告を発している。心のケアの重要性がさけばれています。
しかし、「心のケア担当」なんて腕章を巻いて避難所に乗り込んでも誰も相談には来ません。心のケアはそっとやるものです。大災害などにあって起きる病状を表すPTSD (心的外傷後ストレス障害)は阪神・淡路大震災時、誰も診療したことはありませんでした。僕は予防に越したことはないと考え、まず精神科医が避難所を巡回し、その人の力量で避難所の緊張した雰囲気を和らげることを目指しました。精神科医は花を持って訪れ、お土産をもらって帰ってきました。仮設住宅も訪問すること自体がよい影響を与えました。
誰かがそばにいてくれることがいかにありがたいか。被災者を孤立感から救うことが第一課題です。被災者は自分が孤独ではないと感じ、体験を分かち合う。その後、生活再建を考えることができるのです。いま新聞から大震災関連の記事が徐々に減ってきて、東北の人々が忘れかけられています。災害の記事は読んで楽しいものではないから、それは無理ないでしょう。忘れられる時が危機だと言われます。その時期の始まりでしょうか。
災害は自然相手に始まりますが、時間が経過すると問題は人間相手に移ってゆき、話がややこしくなります。復興・復旧の過程では同じ被災者という感覚が薄れ、個人間や、市町村の間で社会的な格差が生じてくるのです。
中井氏の『災害がほんとうに襲った時阪神淡路大震災50日間の記録』(みすず書房)は東日本大震災後、ノンフィクションライターの最相葉月さんが中井氏了解のうえ、ウェブサイトで無料公開している。大震災後再編集された『復興の道なかばで、阪神淡路大震災1年の記録』()には、被災者の貧富や才覚、運不運の違いによって、生活再建の程度が〝ハサミ状に″分かれていく様や、現地の支援者が疲れていく様子が克明に記される。・・・略・・・
そして、最悪の事態も想定して考えた方がいい。最悪は考えたくないものです。考えたくないような事態があり得ると意識していればいいが、日本人は恐ろしいから最悪を考えないことにする傾向があります。日本にとりついているのは希望的観測という病気です。最悪の事態の可能性を見て見ぬふりをするのです。原発を例にとってみましょう。福島の原発がチェルノブイリのように爆発するだとか、そのようなことが起きるかもしれない。それでも、日本人は生きていかなければなりません。また、原子力がもともと存在しなかった場合を想定して、電力や経済はどうなるのかをデザインしてみることも必要でしょう。最悪を想定して、それに呑まれずに状況に応じて対応するよう心がけるか、心がけないかで相当違ってきます。
なかい・ひさお1934年奈良県生まれ。京都大医学部卒業。神戸大教授、甲南大教授を経て、2004年兵庫県こころのケアセンター所長。07年から参与。「分裂病と人類」「徴候・記憶・外傷」など著書多数。詩集の翻訳も。

新聞記事からも、だんだんと震災、原発記事の量が少なくなりつつあります。311日の大震災が遠い事のようにならないようにするためには、この「希望的観測という病」にならいよう、心がけることが重要だと思う。

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