2011年7月13日水曜日

日本語教室

井上 ひさし(いのうえ ひさし、193411月17 - 20104月9)氏は、日本小説家、劇作家、放送作家である。文化功労者日本藝術院会員本名井上 廈(いのうえ ひさし)と言うが、最近「日本語教室」と言う本が最近出版された。日本語を生きるこれからの私たちへ、“やさしく、ふかく、おもしろい”最後のことばが散りばめられている本であるが、その中での脱線した話を紹介する。

メリー・ホワイトというボストン大学の社会学の先生が「ニューズウィーク」誌に書いた「アメリカはよい国か」というタイトルのエッセイをご紹介しましょう。僕は感動して、もう全文暗唱しています。「アメリカはよい国か。イエス」とまず書いてあるんです。いい国である。「ただし、奴隷制や、先住民抑圧や、日系人の強制収容や、無差別爆撃や、原子爆弾の投下や、ベトナム戦争がなければの話だが」と続くのです。この人はサービスに、「日本はよい国か」とも同時に書いています。やはり「イエス。素晴らしい国である」と。そして「ただし」というのが、また入るんです()。「台湾・朝鮮の植民地化、満州国のでっち上げ、それから沖縄とアイヌに対する差別、被差別部落、それから在日韓国・朝鮮人に対する抑圧、それから従軍慰安婦問題、そして南京虐殺を除けばだが」と続いています。
これを読んで僕は、結論が出たなと思いました。完璧な国などないわけですね。かならずどこかで間違いを犯します。その間違いを、自分で気がついて、自分の力で必死で、苦しみながら乗り越えていく国民には未来があるけれども、過ちを隠し続ける国民には未来はない。つまり、過ちに自分で気がついて、それを乗り越えて苦労していく姿を、他の国民が見たときに、そこに感動が生まれて、信頼していこうという気持が生まれるわけです。ところが、自分の国はほとんどいいことばかりしていて、あのときはしょうがなかったという人たち・・、一見、愛国者に見えますが・・そういう人たちの国には未来はない。なぜなら、他の国から信頼されないからです。
日本の悪いところを指摘しながら、それをなんとか乗り越えようとしている人たちがたくさんいます。私もその端っこにいたいと思っていますが、そういう人たちは売国奴と言われています。でも、その人たちこそ、実は真の愛国者ではないのでしょうか。完壁な国などありません。早く間違いに気がついて、自分の力で乗り越えていくことにしか未来はない、ということを、今回の講座の脱線と結びにいたします。

彼が亡くなってもう1年が経過した。この話がされた時は今から10年程前であるが、新鮮さを失っていない。彼のように、日本語に対して深く、広く、長く、考察した人はいないのではないか。

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