2011年7月11日月曜日

老いと幸福

精神科医でありながら、いろんな執筆をしている、春日武彦氏の「老いへの不安」
という本を読んだ。サブタイトルで「年を取り損ねる人たち」とあった。著者は1951年生まれで私より1つ上である。ほぼ同年代の人のエッセイなので興味深く読んだ。その中で面白かった一遍を紹介する。
【パン屋での出来事】
もう十年近く前の話である。新宿にあるデパートの地下のベーカリーへ立ち寄った。美味いが高価といった位置づけの酒落た店である。右手にトング、左手に四角い盆を持ってうろうろしていたら、一人の老人が目に入った。七十歳くらいの男性であろうか。どちらかといえば痩せ形で、背筋が伸びている。晩年の藤山一郎(歌手)に風貌が似ている。健康であることや、体力年齢の若さをひそかに自慢するタイプに見えた。もちろん気も若そうであるが、節度は心得ているようであった。薄青いジャケットを着た外見は、金銭的にも生活にも余裕があることを窺わせる。彼が独りでこの店に来てパンを買っている姿には、それなりに日常を楽しんでいるといった気配があり悠々自適といった言葉を連想させるものでもあった。
以下、その老人をミスター藤山と呼ぶことにするが、店内でちょっとしたアクシデントが出来したのである。彼は一斤のイギリスパンを盆に載せていた。そして歩いている途中で、何かの弾みで盆が傾いてしまったらしい。横滑りしたイギリスパンは縁を乗り越えて「あっ」という間に床に落ちてしまったのである。床の上で、パンはフロアに剥き出しのまま転がっている。そんな事態に、わたし以外、不思議なことに店員も客も誰も気づいていないようであった。ミスター藤山は、あわててパンを拾い上げた。焦っていのだろう、素手でパンを掴んでいた。左手の盆に戻し、表情にはほんの少しばかり赤みが差しているようであった。わたしは、ぼんやりと彼の様子を眺めていた。すると次の瞬間、彼は大股でイギリスパンが並べてある棚へ戻って行った。老人にしては意外なほどのきびきびした身ごなしで、ミスター藤山は床から拾い上げたパンを今度はトングを使ってさっと棚へ戻し、別のイギリスパンをあらたに自分の盆へ載せた。そうして、またしてもきびきびとした足取りでレジの列へ並んだのである。
まるで、何事もなかったかのように。わたしは呆然としたまま立ち尽くしてしまった。今、目の前で起きたことは、いったい何だったのだろう?セルフサービス形式なのだから、客が盆からパンを落としてしまうようなことだってあるだろう。普通、そんな場合は自己責任として客はそれを購入するのが常識というものであろう。ただし、もし店員がそのようなアクシデントに気づいた場合、おそらく「お客様、大丈夫ですか」とか言いながら商品を新しいものに交換してくれるのではないか。少なくとも服装や雰囲気が店にマッチした客であったなら、そうしてくれるほうが自然だろう。弁償しろとか引き取れなどと剣呑なことは言うまい。つまりミスター藤山がパンを落とした時点で取るべき態度は、苦笑しながらゆっくりとイギリスパンを拾い上げようとする。するとその様子に気がついた店員が駆け寄り、パンを取り換えてくれる。彼は「やあ、すまんねえ」などと言いながら、あえて好意に甘える。その瞬間の彼には、飄々としたトーンがにじみ出ているだろう。店としては、人品卑しからぬ老人をフォローすることで接客態度のポイントを上げることになる。なるほど店は一斤のイギリスパンの代金を失ったことになろうが、こうしたやりとりもまた店の衿持を示すといった意味では決して損とばかりは言えないのではないか。だから老人も店も、双方ともなごやかにエピソードを閉じられることになる。と、そんなことをわたしは考えるわけである。
にもかかわらず、ミスター藤山の振る舞いはあまりにも自分の立ち位置を自覚していない。見苦しいではないか。あさましいではないか。他人ならば、床に落ちたパンを食べても構わないというのか。そこまで自分勝手なのか。あのこせこせした動作はどうだろう。卑しい。情けない。恥知らずである。彼はこうした不慮の事態においてこそ、その外見に相応しい「品のある老人」としての身振りを示す義務があると思う。自分の失敗に対して、年輪ゆえの貫録というか、高齢であるがための愛矯というか、そういったもので周囲を上手くい動かし収めてしまう。それこそが老人の義務であり、歳を取るとは老いぼれることではなくこんなふうにすんなりとアクシデントを乗り切れるような空気を身にまとうことなのだと、若い者に知らしめなくてはなるまい。うわべばかり上品ぶって、最低な奴だな。ああいう老人を指して「馬齢を重ねる」と称するべきではないか、などとわたしは甚だ不快に思ったのであった。
矜持自信誇り
馬齢自分年齢卑下していう語
著者は老いについて論じることは、結局のところ幸福について考えをめぐらすことだと言っている。まだまだ私のように、年をとっても大人気ない、往生際が悪い老人予備軍には、ドキッとする話である。どういう風に年をとれるのか・・悩ましい問題である。

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