2012年2月29日水曜日

無関心の責任

下記の文章を山梨民医連新聞3月号の「一滴」欄に紹介した。その本(犠牲のシステム福島・沖縄 高橋哲哉著)で著者は「原発事故の責任を考える」の項で、責任は第一義的には「原子力村」にある。次に「政治家・官僚の責任」「学者・専門家の責任」を言っている。それは、市民の責任はあるのかと言う問に、「無関心だった責任」を言っている。以下、長いが紹介したい。

「3・11大震災」を忘れてはならない。1年前、大震災に遭った人たちは「一番怖いのは、人々意識の中で、震災が忘れられることだと言う」。忘れないためにも、私達ができることは何かと自問してみることが重要だ。そんな折、高橋哲哉氏の「犠牲のシステム福島・沖縄」(集英社新書)を、新聞の紹介欄で知り、購入して読んだ。その中での印象的な文章を記す。「福島は原発を受け入れ、その犠牲になりました。そもそも原発は犠牲のシステムなのです」「犠牲のシステムでは或る者の利益が、他のものの生活を犠牲にして生み出される。この犠牲は通常、隠されているか、共同体にとっての『尊い犠牲』として美化され、正当化されている」。「同じようなことが沖縄の米軍基地問題でも言えます。沖縄米軍基地の加重負担という犠牲でなりたっている安全保障のシステム=日米安保体制をこれ以上続けるのかという問題です。生半可な『政権交代』くらいではビクともしない戦後日本の国家システムが原因である。米軍基地も、原発も受け入れてきた国策そのものを見直して、この国策を変えていくしか展望がない」と言う。まさにその通りだと思う。であるならば、国策を変えるには何をすればいいか?私は次のように考える。「3・11大震災」を決して忘れないで、出来る限りの行動をすることだ。(一滴文章)

無関心だったことの責任
 では、電力を享受してきた都市部の一般市民の責任とはどういうものなのだろうか。一つには、知ろうと思えば知ることができた情報がありながら、原発のリスク、言い換えれば、そこに組み込まれた犠牲とその可能性について十分に考えてこなかった、甘く見ていた、無関心であったことについての責任があると考えられる。原発が大事故を起こす可能性があること、いったん事故が起きればどういう脅威にさらされ、どれほどの惨事を招くかについては、一定の年齢に達した人であれば、スリーマイル島原発事故(1979年)や、何よりもチェルノブイリ原発事故(1986年)によって知ることができたはずだし、とくにチェルノブイリ原発事故の後では、この国でも原発批判の議論が巻き起こったから、知る機会は十分あったはずである。また日本国内でも、福島原発の事故以前に、全国各地の原発および関連施設でたびたび事故が起こっていて、しかもそれらが電力会社によって隠蔽されたり、記録が改ざんされるなど、いくつものスキャンダルがおおやけになっていた。これらのことは、新聞・テレビなど一般の報道に接していさえすれば、十分に開示されていたとまではいえなくとも、まったく知ることができなかったとはいえない。とくに1999年9月30日の東海村JCO臨界事故では、ウラン燃料の加工作業に従事していた技術者、大内久氏、篠原理人氏の二名が死亡し、東海村の住民600人以上が被曝した深刻な事故となったため、マスメディアもこれを大きく取り上げた。大内氏が中性子線の大量被曝によって、懸命の治療を受けながらも悲惨な最期を余儀なくされた経緯は、NHKのドキュメンタリー番組でも報じられたし、その記録は現在、文庫本で読むこともできる(NHK 「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命』)JCO事故で放射能被曝の恐ろしさを少しでも感じたとしたら、原発のリスクについて、そこから考え始めるきっかけには十分なったはずだ。それにもかかわらず、私を含めて都市部(たとえば首都圏)の大半の人間は、地方(たとえば福島)に立地する原発から供給される電力の利益を享受するのみで、原発のリスクについて考えることを怠ってきた、甘く見ていた、あるいは無関心だった。そのことの責任はやはり免れないように思われる。東京・首都圏の人間も、福島原発事故で放射能汚染にさらされ、被害を被っているけれども、だからといって、当の事故に責任がないわけではないのだ。(著者)

確かに「無関心の責任」はあると考える。しかし、メディアが無関心にさせるようなことにならないような、情報提供をすることが前提であるべきだと考える。

2012年2月28日火曜日

福島第一原発

エンジニアとして、全米で原子炉の設計、建設、運用、廃炉に携わり、米エネルギー省の廃炉手引書の共著者でもあるアーニー・ガンダーゼン氏の「福島第一原発―真相と展望」と言う本が出版された。今回の原発事故での本は数多く出されているが、アメリカの原発の専門家の本は珍しい。極めて的確な指摘がされている。その要約は、終わりに、の部分に記されているので紹介する。

今回の福島第一原発の事故処理だけでも人類がいまだかつて直面したことのない試練ですが、国民と環境へ及ぼされる悪影響の拡大をさらに食い止めるには、エネルギー政策の転換を避けて通れません。原発は中央集権化された二〇世紀型電力の最たる例でした。ところが発送電の技術は、リスク分散やエネルギー効率の観点からも、好ましい方向へ日々進化しています。
かつて原子力が安価だったのは、人体や自然へ残す負の遺産が計算に入れられていなかったためでした。1979年にスリーマイル島でメルトダウンが起きる直前に私が発注した原発を境に、アメリカでは2011年まで34年間、認可されませんでした。現実の事故を考慮する以前に高まりつつあった、説明責任と安全対策への要求に応えると、原発はあまりにも高額になっていたのです。
福島第一の複合事故を研究するまでは私も、意識改革と科学技術の発展で徹底した改善が可能だと考えていました。しかし、健康被害の回避や長期にわたる放射性廃棄物の管理は人類の力を超えるという事実を確信するに至りました。震災がもたらした深い悲しみを目の当たりにして、謙虚さを取り戻すべきだと改めて気づいたこともあります。「明るい未来」という表現で売り込まれてきた原発ですが、平時であっても未来を蝕む過去の遺物なのです。
日本政府、東電、国際原子力機関(IAEA)の宣伝とは裏腹に事故は収束から程遠い状況です。今なお不安定な現場で続いている懸命な作業がなければ、四号機の使用済み核燃料プールでの火災や連鎖事故で全く制御が利かなくなる恐れがありました。また、おおむね海へ向かっていた風が陸地へ吹いていれば、日本列島の大部分は壊滅的な被害を受けていたでしょう。汚染の現実や放射能の有害性も軽視されていますが、すぐ近くまで迫っていた最悪の事態を理解すれば、到底支持できません。
それなのに、なぜ原発の擁護が一層強化されているのでしょうか。保身や利権、短期的利益を追求する人間の欲が理性を切り崩す構図は、社会全体に共通しています。それに加、核兵器と表裏一体で開発されてきた原子力は、国家の威信や機密事項と切っても切り離せない関係にあります。
広島と長崎への原爆投下を皮切りに、各国政府や大企業によって何章、いえ何冊分もの物語が紡がれてきました。ずらりと揃った書物は、両側から1対のブックエンドで区切られます。福島第一原発事故の惨事を受け止める私たちは、倒れそうに並べられた一連の本の終わりに、もう片方のブックエンドを強い意志と共に置かなければなりません。将来の世代を救うために、市民が歴史の主導権を握るチャンスなのです。
これからは化石燃料やウランではなく、日本が恵まれている風力、太陽光、潮力,地熱といった代替エネルギーを生かす時代です。技術者として私は日本の革新的なテクノロジーと丁寧な仕事ぶりに敬意を払っており、思慮深く勤勉な人々が世界に手本を示してくれることを期待しています。パラダイムシフトを乗りこなすにあたって、日本は決して遅れをとっていません。他国も失敗から学んでいませんし、国境を知らない放射能は地球規模の問題です。原子力を推進している他の国にとっても原発が本質的に時代錯誤であることに変わりはなく、持続可能な選択ではありません。これから幕開けとなるエネルギー革命を、日本に是非ともリードして欲しいと願っています。
パラダイムシフト(paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することを言う。パラダイムチェンジとも言う。

2012年2月22日水曜日

ジャーナリスト

民医連医療、畑田重夫氏の メディアへの「眼」は毎回読んでいる。あと1回で終了予定である。今回もその一部を紹介したい。ジャーナリストの上杉さんのことを中心に政治とはなにかを論じている。

ジャーナリストによるジャーナリズム批判
ジャーナリストを辞するの弁
上杉隆さんというジャーナリストの名前をご存じの読者は、さほど多くはないと思います。いわゆるフリージャーナリストの一人です。
上杉さんの記事の大要をつぎに紹介しておきましょう。「きょう、この原稿をもって私は12年間のジャーナリズム活動にいったん終止符を打つ」「なぜ辞めるのか。その理由はいくつかある。ただ直接のきっかけはひとつ、3・11の大震災による原発事故、それに伴う大手メディアのアンフェアな報道がそれだ」
「『安心してください』『被曝の心配はありません』『食品はすべて安全です』こうしたニュース自体は問題ではない。問題は、そう報じておきながら、自らは原発から50キロ圏外の安全地帯に逃げ込み、家族を遠くへ逃がしていた記者がいたのだ。それはジャーナリストとしてよりも、ひとりの人間として卑怯である。そうした卑怯者たちとともに同業者であるというのは私の小さな良心が許さない。よって日本において、私は『ジャーナリスト』という職業を捨てることに決めたのだ」
そこで想い起こすのが、2011年の秋日本を訪れたブータンの国王夫妻のことです。あの国は、九州くらいの面積で人口約70万人ほどの極小国です。核兵器を保有する大国中国と、同じく核兵器をもつインドという大国との間にはさまれて存在している国ですが、同国には「核抑止論」や、国の安全保障のための軍事力増強などという考え方は全く芽生える余地もありません。国民のすべてが、真の意味での幸福感を味わいながら平和に暮らしているというのです。GNH(グロス・ナショナル・ハピーネス)といって、日本語に訳すと「国民総幸福量」という考え方が上から下まで、国のすみずみまで徹底しているというのです。GNP(グロス・ナショナル・プロダクト)、つまり「国民総生産」という一般の国ぐにで言われている概念もこのブータンという国には無縁なのです。
それは、国王自身が、住民たちの家に泊まり、ひる蚊にさされたり、蛭に血を吸われたりしながらすべての国民とともに苦楽を分かち合いながら生活をしているのです。したがって、国王が何かを言っても、国民はそれを素直に受けいれることができるわけです。
それに反し、日本の保守的な政治家たちが「国民の皆さん!」「被災地の皆さん!」などと呼びかけながら何かを言っても、心底それを信頼する国民(住民)は少ないのではないでしょうか。生活苦にあえぐ多くの人々や、放射能被害を心配しながらこの寒空のもとで避難生活に耐えている被災者たちに、たとえ同情めいた言葉を口にしても、自分たちは、都市での満員電車の通勤苦も知らず、豪華な邸宅や議員宿舎で何不自由なく暮らしているのですから、庶民の真の苦しみがわかるはずはなく、それを国民や被災者たちはちゃんと見抜いているわけです。

我々、民医連職員も口では立派なことを言っていても、患者さんの立場にたって物事を理解するよう訓練をしていないと、同じようになってしまうのではないか。これ克服する手段はなにか・・。現場から学ぶ謙虚さが求められる。

2012年2月15日水曜日

足尾と原発

赤旗に「足尾鉱毒問題と「3・11」原発事故」というタイトルの記事があった。今から100年以上もまえの「鉱毒問題」の対応があまりに、「原発事故」と似ていてびっくりする。以下、その一部。
東日本大震災の被害、なかんずく東京電力福島第1原発の事故は、明治期後半に起きた渡良瀬川足尾鉱毒問題と重なります。
汚染の土壌は今日の「毒塚」
原発と同じように、足尾銅山は国策に支えられて発展しました。産銅量急増の陰で広がりつつあった渡良瀬川下流域住民の健康や農漁業被害=鉱毒が一気に表面化したのは1890(明治23)の大洪水でした。
この時、土壌分析で銅成分が検出されたにもかかわらず、銅山は加害を認めませんでした。政府は、田中正造の国会質問に対し、銅山の言い分そのままに「原因はわからない」としつつ、増産のための粉鉱採集器が被害除去に役立つかのように装い、「その効果を待つ」と答弁しました。
今回の原発事故で東電の発表を鵜呑みにした政府の説明を私たちはどれほど聞かされたことでしょうか。田中正造は「洪水は天災、鉱毒は人災」と言いました。原発事故は人災そのものです。
被害農民たちは鉱毒土を削り、田畑の一角に積み上げ、「毒塚」と呼びました。除染作業で出た大量の高放射能汚染土壌は今日の「毒塚」です。
日清戦争(1894-95)後、農民たちは、鉱毒の発生源である足尾銅山の操業停止と被害民救済を求めて押し出し″ (大挙出京請願)を敢行します。世論にも押されて政府は銅山に鉱毒予防工事を命じます。工事が完了すると、「これで鉱毒問題は解決した」という喧伝がさかんに行われました。冷温停止状態になったとして原発事故収束宣言をした野田首相の発言を思い出します。
「事実を見よ」と正造は言います。いま私たちは「31」と原発事故の現実から、日本の政治社会のあり様を真剣に考えている最中です。谷中村にあった正造が、「谷中を見るも日本を見るも世界を見るも同じに見んと思うのです」と言ったように・・・。(いいだ・すすむ田中正造を現代に活かす会事務局長)

この時も、時の政府は「新日本建造」を繰り返し提唱し、軍拡と増税を推し進めていったのだ。なんだか今とよく似ていませんか。

2012年2月13日月曜日

なかにし礼


 なかにし礼と言えば、私には「歌謡曲」の作詞家で一世を風靡し、小説家としても一家をなした人と認識している。小説も「長崎ぶらぶら節」「赤い月」の2冊を読んだことがある。そのなかにし礼氏が「歌謡曲から昭和を読む」と言う本を書いた。かなりの博識であるとともに、世の中をみる眼は確かなものだ。一部紹介する。

私は、「愛国的」つまり「日本のため」と言うこと自体、芸術家として根本的な誤りで
あると思う。問題を軍歌にしぼれば、作詩家であれ作曲家であれ、作家というものはどんな場面にあっても、最高の作品をつくろうと力を尽くすものである。それ自体はもちろん悪いことではない。しかし、その結果、作家の卓抜な技によって煽り立てられて戦地に赴き、戦死したり苦難を強いられたりした若者が大勢いたことに、作家たちは罪の意識を感じなかったのだろうか。感じていたら、次々に書くことなどできないはずだから、山田(耕筰)がそうであるように、ほとんど感じていなかったにちがいない。そこに彼らの罪がある。
平成21年(2009)、イスラエルのエルサレム賞を受賞した作家の村上春樹は、授
賞式で、「高くて硬い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」と自らの文学的信念を語り列席していたイスラエル大統領の面前で、イスラエルによるガザ侵攻を非難した。私は一人の作家として、この言葉に共感する。作家はどんな国も支持してはならないし、どんな主義も支持してはならない。支持した瞬間、作家は「主人持ち」になりその側から発言することになる。
それは村上春樹の言葉を借りれば「壁」になることに他ならない。仮にいま戦争が起きたとして、国策に沿った歌を書くように言われても、私は絶対に書かない。それは政治思想の問題ではなく、歌をつくる人間として、あるいは作家として、「主人を持ってはならない」と考えるからである。芸術に携わる人間は、決して自らが「壁」になってはならないのだ。
歌というものは直接聞き手の情緒に訴えかけるものなので、その影響力は計り知れないほど大きい。私は別に軍歌好きではないが、にもかかわらず、戦後65年以上をへた今でも、相当数の軍歌を暗唱することができる。それほどに大きな影響力を軍歌は持っている。その大きな影響力をまともに受けて死んでいった若者たちがいたことに、作家たちが罪の意識を感じなかったとすれば、彼らは「壁」だったのだ。自らの技術を国家に提供し、国家の行う戦争に協力する、御用作家という名の「壁」だったのである。
軍歌の制作に携わった作家たちの多くは、戦犯指定を逃れた後、手のひらを返すように活動を再開し、戦後の歌謡界で活躍した。個人を責めるのは酷かもしれない。私自身、面識のある人の非をあげつらうようなことは慎むべきかもしれない。しかし、歌謡曲の実作者であり、戦争体験者でもある私は言わなければならない。彼らのつくった歌を、ただ「いい歌でした」と言っているだけでは、歌謡曲の歴史をたどる意味がないのである。
いい歌であればあるほど罪深い。いい歌であればあるほど、多くの若者を死なせている。そのことは確認しておかなければならない。歌とは、場所と機会を与えられたら何でもかんでも書けばよいというものではない。書いてはならない場所というものがある。フランスでは、かの有名な「枯葉」を作詩し、名画「天井桟敷の人々」の脚本を書いた詩人ジャック・プレヴェールが「パルバラ」という美しい反戦詩を書いている。彼我の差にあらためて驚くのである。

「赤い月」は彼の生い立ちをもとに書かれた本である。ぜひご一読を。
ちなみに、なかにし礼の創った歌で私が一番すきな歌は、「石狩晩歌」である。



2012年2月10日金曜日

不安社会

県立図書館で「不安家族」(大島寧子)という本を借りた。サブタイトルとして(働けない転落社会を克服せよ)と書いてあった。まだ読みかけであるが、「はじめに」という文章を少々長いが、紹介する。この内容は全く同感である。

先進国の各地で、若者の悲鳴と怒りの声が上がっている。20119月末に「ウォール街を占拠せよ」という掛け声をきっかけにニューヨークで起こったデモは、米国の行き過ぎた競争社会や、大学を出ても就職が難しい現実、所得格差の拡大に反対する若者だけでなく中間層の支持を集めており、全米に広がる様相をみせている。
同じ年の8月には、英国ロンドンで、警官によるアフリカ系男性の射殺事件をきっかけに、大規模な暴動が発生した。暴動の背景の一つに、社会で得られるべき様々な機会から排除され、希望を失った若者が、自暴自棄な行動に出たことがあると考えられている。産業構造の転換や情報通信をはじめとする技術革新は、高度な知識や技能を持たない若者の経済・社会への受け入れを困難にさせ、当たり前の生活を送ることのできる仕事を縮小させている。若者が求めているのは、普通に生活できる仕事であり、これにつながる機会(チャンス)である。
これらは対岸の火事ではない。バブル崩壊後の日本でも、不安定雇用が若者を中心に広がり、今を生きることに精一杯で、将来の希望を持ちにくい人が増えている。
今、正社員として働いている人も安泰ではない。サラリーマンの生涯賃金は減少し、大企業も含めて、経済情勢が悪化すれば人員調整に踏み切る企業が増えた。また、いったん失業すれば、その後の失業期間が長期化する傾向は鮮明だ。今、安定した生活を送っていても、当たり前の生活から「転落」するリスクを感じずにいられる人は少数派であろう。
問題は、グローバル化や日本経済の低成長など厳しい試練を受けた企業が、雇用者との関係を見直していることにより生じている。企業は人材を長期育成し、戦力としていく方針を捨てた訳ではない。しかし、その対象となる人材を精鋭化している結果,企業に雇用されることを通じて、家族の生活が守られる仕組みから外れる現役世代が増えているのである。
この結果、日本の家族の生活基盤は大きく揺らぎ、「家族を持つこと」「子どもを育てること」が難しくなっている。未婚率は上昇し、子育ての経済的負担の大きさから、希望する人数の子どもを持てない夫婦もいる。さらに、日本の6人に1人の子どもが貧困状態にある。家族を持つこと、子どもを育てることが「当たり前のこと」ではなくなりつつある。本書のタイトルを「不安家族」とした理由はここにある。
このような状況は、一部の限られた人々の問題ではない。結婚しにくい、子どもを持ちにくい社会は当然の帰結として少子化を進行させ、経済や社会保障の未来の担い手を縮小させる。働きながら能力を高める道が閉ざされた若者の増加は、イノベーションの担い手を減少させる。女性が働きにくい社会は、経済と社会を支える人材の先細りを加速させ、家族が生活の安定化を図る手段を奪う。
国土は狭く、これといった地下資源もなく、食料やエネルギーの多くを輸入に頼る日本にとって、最大の資源は「人材」である。しかし今、急速に生産年齢人口が減少する中で、若者や女性を十分にまじめに活用できずにいる。人材を浪費し、未来を食いつぶす余裕など、どこにもないはずである。
それでは、現役世代が置かれる苦境を脱するためには、何が必要なのだろうか。筆者は、就労と生活を支える雇用政策と社会保障政策を今一度見直すことが必要と考える。これまで日本では、企業が人材育成や従業員の生活の保障を、女性が家事・育児などの家庭内労働を担うことを前提として,政府は、現役世代の「働くこと」「生活すること」を支える政策を「安上がり」に済ませてきた。しかし、そうした政策では、現役世代の生活の不安定化に対応しきれなくなっている。今求められているのは、「働くこと」 「生活すること」に関するリスクに、現役世代が対抗する「防具」「武器」となるような雇用政策・社会保障を強化することである。

問題は、解決策としてどんな具体的は事を考えているかと言うことである。出版が「日本経済新聞出版社」であるので、少々不安は残る。読み終わったら、読後感を紹介したい。

2012年2月7日火曜日

以前にも紹介した「台所のオーケストラ」(高峰秀子)から、しゃれた話を紹介。

codfish(たら)
読んで字の如く、雪の降るころに獲れる、冬の魚。北海道は函館生れの私には、なんとなく懐かしい魚ではあるけれど、どうもね、デブのオバサンという感じで、もうひとつシマリがないみたい。
この間、写真家の秋山庄太郎サンに会ったら、「デコちゃん、オレ、鱈の刺身喰ったぞ」って言うから、「不味かったろ」って言ったら、「美味かった」って。別れ際にまた、「鱈の刺身、美味かったぞウ」って・・・。だからいったい、なんだってンだよ。ヘンな人だねぇ、秋山さんて。
御存知「タラコ」は、「真ダラ」ではなくて「すけとうダラ」の子なんですってね。戦争中は、魚の配給といえば明けても暮れても「すけとうダラの切身」オンリーで、つくづくウンザリしたものだっけ。あ、分った、つまり秋山さんは、真ダラの刺身なんて、ウンと賓沢なもの食べたんだぞ、って言いたかったのかもしれないな。

私の小さい時は、学校給食が始まった頃である。給食の蛋白源は、「鯨」「ホッケ」が多かった。安い肉の代名詞であった。今では、「鯨」はあまり手に入らない。
因みに、魚編の魚でその漢字から、イメージがつかめるのは、鰹(かつお)、鰯(いわし)、鯉(こい)、鯖(さば)あたりか。

2012年2月2日木曜日

日本の政治

朝日新聞に面白い記事があったので、紹介しよう。愛知県立大学準教授の与那覇準氏の記事の一部を紹介する。日本の政治は「中国化」しているのか?と言う問に対しての氏の考えである。

どこが中国的ですか?
「民意という名で道徳感情に火をつけ、巧みに活用する点ですね。中国と西欧の政治の違いは、権力の暴走をコントロールする方法です。西欧は『法の支配』によって、議会が制定した法で王権を縛った。中国では『徳治』を掲げてモラルで縛る。強すぎる皇帝に対し、儒教道徳の体現者にふさわしい統治を、という期待で制御しようとした」
55年体制下の日本の政治家は、業界団体や労働組合などの『ムラ』の組織票が権力の源泉でした。組織が弱体化した今は、もう移り気な民意に頼るしかない。小泉さんも橋下さんも、既得権益という『悪』を設定して、それと闘う白分を『徳治者』にみせることで支持を得る。首相公選制など、行政の長との一体感を求める声が高まるのも、西欧的な議会政治がまどろっこしくて、むしろ中国式に『私利私欲を超越した道徳的なリーダーに全部任せよう』という『一君万民』的な方向へ向かっているからでしょう」
 日本も「徳治」の国になりつつあると?
「ただ、徳治は為政者の道徳観が絶対的に正しいことが前提なので、価値の多元性を認めない。統治者と違う価値観に対しては、冷たい国になる危険が伴います。小泉さんや橋下さんのように『選挙で勝った以上、自分の考えこそが民意だから、妥協は必要ない。文句があるなら次の選挙で引きずり降ろしてみろ』ということになる」
今の中国共産党は徳治をしているのでしょうか?
「あれだけ資本主義になっても、建前だけは共産主義という『道徳』の看板を降ろさないのは、ある意味で徳治の伝統が生きているともいえます。宋朝から千年間やっているから、建前と実態にギャップがある状態に国民が慣れきっているのでしょう.日本人はその点ウブで、本気で為政者のモラルに期待して、そのつど本気で絶望しちゃうから、政権が安定しない」

民主主義とは時間がかかるもので、面倒なものだ。面倒くさいことが嫌いな人が多くなると、医療で言えば、事故がおこり、政治でいえば独裁者が出てくることになる。